
大阪母子医療センター
惠谷 ゆり(えたに ゆり) 先生
1989年3月 大阪市立大学医学部医学科卒業
同6月 大阪府立病院小児科にて研修
1991年6月大阪府立母子保健総合医療センター(小児内科) 1992年6月 大阪大学医学部研究生(小児科学教室)
1998年6月 大阪府立母子保健総合医療センター(検査科病理)1999年6月 大阪大学医学部非常勤医(小児科学教室)
2000年5月 米国アラバマ大学バーミンガム校微生物学講座および免疫ワクチンセンター研究員
2002年7月 大阪大学医学部研究生(小児科学講座) 2002年8月 大阪大学大学院医学系研究科助手(小児科学講座)
2007年4月 大阪府立急性期・総合医療センター小児科副部長
2009年4月 大阪府立母子保健総合医療センター消化器・内分泌科副部長 2013年4月 同 部長
2017年4月 大阪母子医療センター(名称変更)消化器・内分泌科 主任部長現在に至る
病気がすべてではない——その子の人生を見つめて
病気を抱えて生まれた子どもたち、そしてその家族のそばに立ち続ける医師がいます。
大阪母子医療センター 小児消化器・栄養科の惠谷ゆり(えたに・ゆり)先生です。
惠谷先生は36年にわたり、小児科医として子どもたちと家族の人生に寄り添い続けてきました。
生まれたばかりの赤ちゃんを診ていた患者が、十数年後には高校生になり、「先生、部活でこんなことがあったよ」と笑顔で話しかけてくれる。
そんな長い年月の中で積み重ねられた“信頼の関係”が、先生の力の源になっています。
今回のインタビューでは、惠谷先生が小児科医を志したきっかけから、診療の中で大切にしている想い、
そして患者・家族に伝えたいメッセージまで、温かい言葉でお話を伺いました。
高校生の頃、進路に悩んでいた惠谷先生は「ずっと続けられる仕事をしたい」と思っていたといいます。
理系にも文系にも興味があり、どちらも活かせる職業として「医師」という道に惹かれました。
「医師には、科学的に考える力と、人の気持ちを思いやる感性の両方が必要です。
そのどちらも大切にできる仕事だと思いました。」
「人を支えたい」「知識を社会に生かしたい」——。その思いが惠谷先生の出発点になりました。
医師としての道を歩み始めた当初から、小児科を迷わず選んだ惠谷先生。
その理由には、子どもたちへのまっすぐな愛情があります。
「子どもと関わる仕事がしたいという思いがずっとありました。
小児科を選んでよかったと思うことばかりで、後悔したことは一度もありません。」
小児科では命の重さに向き合う厳しい場面もあります。
しかし、長い年月をかけて子どもたちの成長を見守り、笑顔を取り戻していく過程を共にできるのは、
この分野ならではの喜びだと先生は語ります。
「生まれたときから診ているお子さんが、今では高校生になっているんです。
成長を見届けられるのは本当に幸せなこと。
大阪母子医療センターに来て16年になりますが、子どもたちの歩みが私自身の励みにもなっています。」.....
☆本記事は、日本アラジール症候群の会のご紹介・ご協力のもとに作成しました。
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