一般社団法人 日本難病・疾病団体協議会 大黒 宏司代表理事インタビュー

大黒 宏司 さん

1965年 大阪生まれ

2011年 全国膠原病友の会 副会長

2013年 一般社団法人 全国膠原病友の会 常務理事(2017年4月まで)

2019年 一般社団法人 全国膠原病友の会 常務理事(現在に至る)

    特定非営利法人 大阪難病連 評議員

    一般社団法人 日本難病・疾病団体協議会 理事

2022年 特定非営利法人 大阪難病連 常務理事

2023年 大阪難病相談支援センター センター長(現在に至る)

2025年 一般社団法人 日本難病・疾病団体協議会 代表理事(現在に至る)


「なぜ今なのか」から始まった道

~JPA 大黒代表理事が語る、病とともに働き、つながり続けるということ~


日本患者支援財団はこのたび、JPA(日本難病・疾病団体協議会)大黒代表理事へのインタビューを実施しました。

本インタビューでは、大黒氏がこれまで歩んできた人生の節目や、「患者として生きること」と「働き続けること」をどのように捉えてきたのか、

その原点に迫っています。


理学療法士として医療の現場に立つ一方で、ご自身も膠原病の当事者として病と向き合ってきた大黒氏。専門職としての視点と、患者としての実感。

その両方を持つからこそ見えてきた課題や違和感が、やがて患者会活動へとつながっていきました。


「なぜ今、この活動をしているのか」「なぜ声を上げ続けるのか」。

その問いに対する答えは、個人の体験を超えて、多くの患者や家族、そして支援に関わる人々に共通するヒントを含んでいます。


今回のインタビューでは、これまでの歩みだけでなく、患者同士がつながり続けることの意味、社会との関係性、

そしてこれからの展望についても率直に語っていただいています。


国家試験直前に告げられた「難病」

「正直に言えば、一番強かったのは “なぜ今なのか” という思いでした」

大黒代表理事が膠原病と診断されたのは、理学療法士の国家試験を目前に控えた、
人生の大きな節目ともいえる時期でした。

長い学生生活を終え、ようやく専門職として社会に踏み出そうとしていた矢先の出来事。
将来への期待と緊張が入り混じる中で、突然「難病」という言葉を突きつけられたといいます。

「“難病”と聞いた瞬間、頭が真っ白になりました。
これまで積み上げてきた努力や計画が、一気に崩れ落ちていくような感覚でした」


国家資格を取得し、理学療法士として働く未来を思い描いていたからこそ、その衝撃は計り知れないものでした。
病気とともに働き続けることができるのか、そもそも就職できるのか――次々と不安が押し寄せ、先の見えない状況に置かれたと振り返ります。

診察の場で、医師からは「長い付き合いになる病気だから、焦らず、ゆっくりいきましょう」と声をかけられました。
しかし、翌月には国家試験が控えており、その言葉の意味を落ち着いて受け止める余裕はありませんでした。

病気と向き合う時間も、立ち止まる余裕もないまま、「試験に合格しなければ」という思いだけが先行する日々。
将来への不安と現実とのギャップに揺れ動きながら、大黒代表理事は人生の大きな岐路に立たされていました。


医療職だからこその不安

最初に現れた症状は、冬場に指先が白く変色するレイノー現象でした。

日常の中では見過ごされがちな変化かもしれませんが、理学療法士として
身体や疾患に関わってきた大黒代表理事は、その違和感を「いつもと違うもの」として
敏感に受け止めていたといいます。

医療職としての知識があったからこそ、「これはリウマチ系の疾患かもしれない」と早い段階で察し、
迷うことなく医療機関を受診しました。
検査を重ね、診断が確定するまでにかかった期間はおよそ1週間。
早期発見・早期診断という点では、専門知識が大きく役立ったとも言えます。


しかし、診断がついたことで安堵が訪れたわけではありませんでした。
むしろ、病名がはっきりしたその瞬間から、別の不安が押し寄せてきたといいます。

それは、症状そのものよりも、「この先の人生をどう生きていくのか」という将来への問いでした。

「これから、自分はどんなふうに働いていけるのだろうか。体を使う仕事を続けられなくなったらどうなるのか。
家族に負担をかけてしまうのではないか。社会の中で、自分は役割を持ち続けられるのか――」


次々と浮かんでくるのは、医療現場で見聞きしてきた“病気の先にある現実”でした。
関節の変形や機能低下、長期的な治療、仕事への影響。

医療職であるがゆえに、病気の進行や予後について具体的にイメージできてしまうことが、かえって不安を増幅させていたのです。

「知らなければよかった、と思ったこともありました」と振り返る大黒代表理事。
知識は武器にもなる一方で、当事者になった瞬間、重荷にもなり得る――

その葛藤の中で、彼は“患者として生きる自分”と初めて向き合うことになりました。


「働けない」と見られる現実

就労の場面では、診断を受けたことによる、また別の苦しさが待っていました。

症状そのものだけでなく、「病気をもっている人」として見られること、その評価や決めつけが、
想像以上に大きな壁となって立ちはだかってきたといいます。

「医療職なら理解されるはずだ、と言われることもあります。でも実際には、逆でした。

“この病気なら、リハビリの仕事は難しいでしょう”と、
最初から可能性を閉ざされてしまう場面も少なくありませんでした」


医療の現場で働いてきたからこそ、身体への負担やリスクを理由に、“配慮”という名のもとで仕事の選択肢が狭められていく現実。
能力や意欲とは関係なく、「難病=働けない」という前提で判断されてしまうことに、強い悔しさと無力感を覚えたと振り返ります。

一方で、実際の現場に立てたとしても、別の葛藤がありました。

患者を前にして、「今日は関節が痛いので、動きが制限されます」とは簡単には言えない。
専門職としての責任感があるからこそ、自分の不調を後回しにし、無理を重ねてしまう日々が続きました。

「十分に働けていないのではないか」「周囲に迷惑をかけているのではないか」。
そんな思いが頭から離れず、思うように動けない自分を責めては、さらに無理をする。

その結果、体調を崩してしまい、また自己嫌悪に陥る――そんな悪循環に、心身ともに追い込まれていった時期もあったと語ります。
“働きたい”という気持ちがある一方で、“働くことで壊れてしまうかもしれない自分”への恐れもある。

その狭間で揺れながら、大黒代表理事は「病とともに働く」ということの厳しさを、身をもって実感していきました。


理解ある職場との出会い

大きな転機となったのは、病気に対して正面から向き合い、理解を示してくれる医師、
そして職場との出会いでした。

それまで「難病がある」というだけで働き方の選択肢を狭められてきた大黒代表理事にとって、
その出会いは、初めて「ここなら続けられるかもしれない」と思える場所だったといいます。

勤務を始めた当初は、無理のない形を最優先し、週2日という短い勤務からのスタートでした。
体調の波がある中で、「続けられるかどうか」を何より大切にしながら、
一歩ずつ働くリズムを整えていきました。


調子のよい時もあれば、思うように体が動かない日もある。
その都度、勤務日数や業務内容を相談しながら、少しずつ、少しずつ勤務日数を増やしていったといいます。

そうした柔軟な配慮のもと、最終的には週6日勤務まで継続することができ、結果として同じクリニックで約25年間、
理学療法士として働き続けることができました。

「長く働けた」という事実そのものが、理解ある環境と信頼関係の積み重ねを物語っています。

「自分にできることは、自分が責任をもってやる。

一方で、体調的に難しい部分や無理が生じる場面では、周囲が自然に手を差し伸べてくれる。

そうした“助け合い”が当たり前にある関係性だったからこそ、ここまで続けることができました」

特別扱いされるのではなく、できないことだけを切り取られるのでもない。

“一緒に働く仲間”として尊重されながら、自分の役割を果たし続けられた経験は、
大黒代表理事にとって「病があっても働き続けられる」という確かな実感につながっていきました。


患者会との出会いがくれた「実感」

膠原病と診断された後、大黒氏が出会ったのが「全国膠原病友の会」でした。

診断を受けた当時は、今のようにインターネットやSNSが当たり前に使える時代ではなく、
病気について調べようにも情報は限られていました。

「何か手がかりがほしかった」と、大黒氏は初任給を使って通信環境を整え、
自分と同じ病気をもつ人の声を探し始めたといいます。

医学書や資料、断片的な情報だけでは、将来の生活や働き方を具体的に思い描くことができず、
不安ばかりが膨らんでいく日々でした。


そんな中で参加した患者会の交流会。

そこで目にしたのは、病気を抱えながらも、いきいきと日常を送り、仕事を続けている当事者の姿でした。
それは、それまで頭の中で描いていた「難病=できないことが増えていく人生」というイメージを、大きく覆す光景だったといいます。

「教科書やネットに書かれている情報ではなく、

“実際にその病気とともに生きている人の姿”を見られたことが、何よりも大きかったです」

症状の重さや生活の工夫、悩みや迷いも含めて、リアルな言葉で語られる経験談。
その一つひとつが、「自分の未来は、まだ決まっていない」という気づきにつながっていきました。

「自分も働いていいんだ」「医療職を続けてもいいんだ」

そう心から実感できたことは、大黒氏にとって大きな転換点となりました。
患者会との出会いは、単なる情報源ではなく、“これからを生きるための実感”を与えてくれる場だったのです。

その実感があったからこそ、不安に揺れながらも前に進み続けることができた――。

患者会との出会いは、その後の人生や活動の土台として、今も大黒氏を支え続けています。


病気を越えて「仲間」になる

JPAでの活動を通じて、大黒代表理事が一貫して大切にしているのは、
病名や立場の違いを越えた「人と人とのつながり」です。

自身が患者会に救われた経験があるからこそ、「同じ病気かどうか」だけに縛られない関係性の
重要性を強く実感してきました。

「患者会に来られる方の多くは、最初はやはり“同じ病気の人”を求めて参加されます。
自分の症状や不安を、分かってもらえる相手に出会いたいという気持ちは、
とても自然なものだと思います」

しかし、交流を重ね、何度も顔を合わせ、互いの生活や思いを語り合ううちに、少しずつ変化が生まれていくといいます。

病名が違っても、抱えている悩みや葛藤、日常の困りごとには、驚くほど共通点が多いことに気づいていくのです。

「縦軸、つまり病名で見れば、違いはたくさんあります。
でも、横軸――生活のしづらさや、働くこと、家族との関係、将来への不安といった視点で見ると、共通する部分が本当に多いんです」

“病気が同じかどうか”よりも、“どう生きているか”。

その視点に立ったとき、参加者同士は「同じ病気の人」ではなく、少しずつ「同じ社会を生きる仲間」になっていきます。

「だからこそ、患者会やJPAのように、病名を越えて人を“横につなぐ場”が必要なんだと思っています。
分断されがちな患者の声をつなぎ、孤立を防ぎ、支え合える関係をつくるために」

病気を越えて仲間になること。

それは、大黒代表理事自身が歩んできた道であり、JPAが目指し続けている活動の根幹でもあります。


「わかったつもり」にならない支援

相談支援の場に立つ中で、大黒代表理事が常に強く意識していることがあります。

それは、相手の話を聞いたときに、安易に「わかります」「大変ですよね」と言葉を返さないことです。

一見すると、共感を示すやさしい言葉のようにも思えます。
しかし大黒代表理事は、その一言が、知らず知らずのうちに相手の体験を
“自分の理解の枠”に押し込めてしまう危険性をはらんでいると感じてきました。

「同じ患者であっても、痛みの感じ方も、症状の出方も、置かれている生活環境もまったく違います。
だから、“分かっているつもり”になることが、一番やってはいけないことだと思っています」


自身も患者として、また医療者として、さまざまな相談に向き合ってきたからこそ、安易な共感ではなく、
「一緒に考える」姿勢を何より大切にしているといいます。

答えを先回りして提示するのではなく、相談者が自分の言葉で状況を整理し、選択できるよう、時間をかけて伴走すること。
それが本当の支援だと考えています。

医療者であっても、患者であっても、前に出すぎない。

「正解」を示そうとした瞬間に、相談者の歩みを追い越してしまうことがあるからこそ、あえて一歩引き、
隣に並ぶ距離感を保つことを意識していると語ります。

「支援する側が前に立つのではなく、横に並ぶ。相談者のペースを尊重しながら、必要なときに手を差し伸べる。
その姿勢こそが、相談支援の基本だと思っています」

“わかったつもりにならないこと”。

それは、大黒代表理事自身の経験から紡がれた、支援に向き合うための揺るぎない指針です。


出会いが人生を豊かにする

「患者会にいてよかったと心から思うのは、世代を超えて“仲間”と呼べる関係に出会えたことです」

大黒代表理事にとって患者会は、単に情報を得る場所でも、困ったときに頼る場でもありませんでした。

それ以上に大きかったのは、年齢も立場も、病名さえも異なる人たちと、
同じ時間を共有し、語り合い、支え合える関係に出会えたことでした。

病気をきっかけに出会った関係であっても、
そこにあるのは「患者」という肩書きだけではありません。


仕事のこと、家族のこと、将来への不安や日々の小さな喜び――。
一人の人として向き合う中で、自然と信頼が生まれ、やがて「仲間」と呼べる存在へと変わっていったといいます。

「病気があるからこそ出会えた人たちもいます。
もし病気になっていなければ、きっと交わることのなかった人生が、ここで重なった」

病気があるか、ないか。
それが人と人を分けるものではなく、むしろ、つながりを生むきっかけになることもある――。

その実感は、大黒代表理事自身の人生観を大きく変えていきました。

医療の世界もまた、この数十年で大きく前進してきました。
かつては難しかった治療やケアが可能となり、医療の進歩によって生活を維持できるケースも確実に増えています。
再生医療やゲノム医療といった新たな技術も登場し、未来への希望は広がっています。

しかしその一方で、大黒代表理事は「進歩は止められないし、止めてはいけない。でも倫理面を置き去りにしてはいけない」と語ります。

遺伝に関する情報をどう伝えるのか。子どもが知るべきことと、親が抱える苦しさ。

病気の説明に遺伝の話が含まれるとき、両親が深く傷つく場面も少なくありません。
その苦しさは痛いほど理解できる。それでも、子ども自身が将来を生きていくために、知らなければならないこともある――。

医療の進歩とともに、私たちは倫理や尊厳についても真剣に考え続けなければならないのです。

大黒代表理事は、大阪難病相談支援センター長も務めています。
そこで日々向き合っているのは、「病気のある人を支える」という枠を超えた、社会全体の在り方です。

「病気について知ってほしい人はたくさんいる。でも、自分のことを知ってほしい人は多くない」

社会の一員として生きていくために必要なのは、病気の知識だけではありません。
病気を越えて、その人自身を理解しようとする姿勢。

違いを前提にしながら、ともに生きる「共生社会」を目指すことが大切だといいます。

病気があっても、人と人としてつながることができる。
支え合い、笑い合い、時には悩みを共有しながら、ともに歩むことができる。

そうした出会いの積み重ねと、医療や社会の在り方への真摯な問いかけが、
「今度は自分がつなぐ側になりたい」という思いへとつながっていきました。

その実感こそが、今もなお、大黒代表理事の活動を支え続ける大きな原動力となっています。



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