
田中 恵里佳 さん
家族は軟骨無形成症を持つ息子・モーリー、長女・りっちゃん、次女・あっちゃん、夫。
現在、アメリカ・テキサス州在住です。
2022年 第3子・モーリーが誕生しました。 突然始まった難病・軟骨無形成症・障がい児の育児。
そこから私の人生はがらりと世界が変わり、大きな挑戦が始まりました。
~Little people of Japan~
軟骨無形成症をはじめ、低身長症・骨系統疾患とそのご家族のためのオンラインコミュニティを運営。(参加無料) 医療情報、相談、ご本人と家族の交流、コミュニケーションの場など様々な活動と情報を発信中→ご興味ある方はInstagramまたはブログ内の問い合わせからメッセージください。
情報とつながりが、人生の選択を支えてくれる
軟骨無形成症をはじめとする低身長症の当事者や、その家族が、国や地域、年齢や立場を越えてつながるオンラインコミュニティLittle People of Japan(以下、LPJ)。
LPJでは、医療や治療に関する情報だけでなく、日常生活での工夫、子育ての中で感じる戸惑いや悩み、進学・就職・自立といったライフステージごとの選択、そして「当事者・当事者家族として、どう生きていくか」という根源的なテーマまで、さまざまな経験や想いが共有されています。
病名を告げられたとき、「誰に相談すればいいのか分からない」「調べても情報が断片的で、不安ばかりが増えてしまう」そう感じる方は、決して少なくありません。
LPJは、そうした不安や孤独の中にいる人が、ひとりで抱え込まずにすむ“つながりの入り口”となることを目指しその輪を広げ続けています。
今回お話を伺ったのは、そのLPJを立ち上げ、運営を続けている田中さん。
アメリカでの子育てや生活を通して感じた「情報の届き方」の違い、長男が軟骨無形成症の診断を受けた際に直面した戸惑いや不安、そして「もし、あのときこんな場所があったら」という実感からコミュニティづくりを決意するに至った経緯について、丁寧に語ってくださいました。
また、選択肢が増え続ける現代において、治療や進路、将来をどう考えていけばよいのか。日本で暮らす患者さんやご家族に、今だからこそ伝えたいメッセージについても、お話を伺っています。
このインタビューが、情報を探している方、つながりを求めている方、そして「自分たちらしい選択」を考えているすべての方にとって、小さなヒントや安心につながるきっかけとなれば幸いです。
〇アメリカで始まった新しい生活と、想像していなかった「孤独」
〇子どもを通じて生まれた「つながり」と、大きな気づき
〇診断を受けたとき、「何も分からなかった」という現実 🔒
〇「それなら、自分が欲しかった場所を作ろう」 🔒
〇LPJが大切にしている考え方 ―「情報は、誰のものか」 🔒
〇増え続ける選択肢と、「正解のない答え」 🔒
〇日本の患者さん・ご家族へ 🔒

田中さんは現在、アメリカ在住。もなく9歳になる長女、6歳の次女、そして3歳になったばかりの長男――
3人の子どもを育てながら、アメリカ人のご主人と共に暮らしています。
慌ただしくもにぎやかな日常の裏側には、移住直後に感じた大きな戸惑いと孤独がありました。
「結婚するときから、夫がいずれアメリカに戻ることは決まっていました。
日本で出産して、その後すぐにアメリカへ移る、という流れでした」
人生の大きな節目となる決断でしたが、田中さん自身は、「海外で暮らす」という選択自体に、強い不安や恐怖を感じていたわけではありませんでした。
「言葉や文化については、“住んだことはないけれど、行ったことはある国”という感覚でした。
テレビや映画、家族を通して知っている世界だったので、
移住そのものに対するハードルは、そこまで高く感じていなかったと思います」
しかし、実際に暮らし始めてみると、想像していた生活と現実との間には、思いがけないギャップがありました。
「一番つらかったのは、孤独でした」知り合いのいない土地で、英語が母語ではない環境の中、大人になってからゼロから人間関係を築いていくこと。
それは、想像以上にエネルギーを必要とするものでした。
日本で暮らしていた頃は、職場でのやりとりや、日常の何気ない会話を通じて、特別に意識しなくても、人とのつながりが自然に生まれていました。
けれど、アメリカに移り住んだ瞬間、それらはすべて一度リセットされます。
「社会人としてのルーティンがあった生活から、いきなり専業主婦になって、赤ちゃんと二人きりで過ごす日々が始まりました。周囲に相談できる人もいなくて、気軽に話せる相手もいない。フラストレーションがたまることも、正直ありました」
初めての土地での子育ては、分からないことの連続です。子どもを連れて行ける遊び場はどこにあるのか。
どの病院を選べばいいのか。ちょっとした育児のコツや、地域ならではの暗黙のルール。
そうした情報の多くが、実はインターネットだけでは完結せず、「人とのつながり」を通して伝えられていることに、田中さんは気づかされました。
「日本にいたときは、当たり前のように周りから入ってきていた情報が、ここでは、誰かとつながらない限り、何も入ってこない。それを、身をもって実感しました」
この経験が後に、
「必要な人に、必要な情報とつながりが届く場所」を作りたい、という思いへとつながっていくことになります。
大きな転機となったのは、長女が1歳半ほどになった頃のことでした。
それまでの田中さんの日常は、自宅と限られた外出先を往復するだけの、人との関わりがほとんどない時間が続いていました。
アメリカでは、プリスクールやママ向けのサポートグループ、地域主催のプレイグループやコミュニティ活動が比較的盛んです。
「子どもを連れて行くだけで、『何歳?』『どこから来たの?』と、自然に話しかけてもらえる場所がありました。それは、本当に救いでした」
勇気を出して足を運んだ場所で、同じように子育てをしている親たちと出会い、何気ない会話を交わす時間が、少しずつ心を軽くしていきました。

最初は簡単な挨拶や世間話から始まり、次第に顔見知りが増え、「この公園がいいよ」「この病院は安心だよ」といった情報交換をするようになります。
一緒にクラフトをしたり、子育てや自分自身について、テーマを決めて話し合ったり。
そうした時間を重ねる中で、単なる「知り合い」ではなく、気の合う友人関係も生まれていきました。
田中さんにとって、それは「やっと社会の中に戻れた」と感じられる、大きな変化だったといいます。
しかし同時に、ある重要なことにも気づかされました。「でも、こういう場所が“ある”と知らなければ、
私はきっと、ずっと孤独なままだったと思うんです」
実際、最初からこうしたコミュニティの存在を知っていたわけではありません。
偶然のきっかけや、限られた情報の中から、ようやくたどり着いた場所でした。
そこで田中さんは、問題は「情報があるかどうか」ではない、ということを強く実感します。
大切なのは、その情報に、必要な人がきちんと“たどり着けるかどうか”。
どれほど有益な情報や支援の場が存在していても、知らなければ、そこに行くことはできません。
そして、知らないまま時間が過ぎてしまうことで、不安や孤独が長引いてしまう人もいるのです。
この気づきこそが、「必要な人に、必要な情報とつながりを届けたい」
という思いを芽生えさせ、後に Little People of Japan(LPJ) を立ち上げる原点となっていきました。