『筋萎縮性側索硬化症(以下、ALS)』患者のSさんにお話をうかがいました。
ALSは、運動神経細胞の変性による筋力低下と筋肉萎縮を主な症状とする代表的な神経難病で、
根本的な治療薬は未だ見出されていません。
しかしSさんから語られる内容は、ALSと向き合う一人の人生の記録であるとともに、
同じ病気や境遇にある方、支える立場の方にとっての「道しるべ」になるものだと思います。
〇「最初の違和感は、全力で走れなかったことでした」
〇診断にたどり着くまでの長い道のり
〇ALSとともに続く治療選択と日常 🔒
〇生活上の変化 🔒
〇ベッドの上でも、世界は閉じていない 🔒
〇日常生活と向き合うために 🔒
〇ALSとともに生きる中で実感した支援と、これから求められる資源 🔒
〇“生き方”を考える時間 🔒
〇疾患情報サイトに期待すること 🔒
〇これからALSと向き合う人へ 🔒

最初に異変を感じたのは2017年の春でした。
毎年恒例で参加していた野球大会に出場した際、それまでと比べて「足が思ったように動かない」と感じたのが始まりです。
前年までは普通にできていた動きが、なぜか重く感じられました。
当初は「年齢のせいかもしれない」「トレーニング不足だろう」と考え、運動やトレーニングを続けていました。
しかし、思うように回復することはありませんでした。
夏頃になると、会社で階段を上る際に強い脱力感を覚えるようになりました。ただ、仕事が忙しく、すぐに病院を受診することはできませんでした。
転機となったのは10月です。
都内へ出張した際、歩いている最中に足が極端に動きにくくなり、「一歩が前に出ない」という感覚に襲われました。
その時、「これはもう病院に行かなければならない」と強く感じたのを覚えています。これが、はっきりと自覚した最初の症状でした。
当時は自動車会社で、生産技術の研究開発を担当していました。
主な業務は、コンピューターを使った生産ラインのシミュレーションなどで、研究者・エンジニアとして働いていました。
実は、もともとは体育学部出身で、最初はスポーツ技術の研究に関わる会社に勤めていました。
その後転職し、自動車会社でロボットの研究、溶接技術の開発などを担当してきました。
2017年当時は、物流関係の生産技術の研究をしていました。

日頃から体を動かし、トレーニングも続けていました。
そのため、トレーニング中はあまり異変に気づかなかったのですが、野球で全力疾走しようとした瞬間に、「これは何かおかしい」と初めて明確に違和感を覚えました。それが、後に振り返ってみると、すべての始まりだったのだと思います。
診断にたどり着くまでの長い道のり

東京への出張から、およそ一週間後のことでした。
まずは子供達が日頃からお世話になっていた個人整形外科を受診し、X線検査を受けました。
そこで告げられたのが「脊椎分離症」という診断です。
ただ、画像を見せてもらったときに、「これで今出ているような症状が本当に説明できるのだろうか」と、強い違和感を覚えました。
その思いを医師に伝えたところ、市内の総合病院への紹介状を書いていただくことになりました。
総合病院の整形外科を受診すると、医師からすぐに「これは整形外科の領域ではなく、神経内科で診てもらったほうがいい」と言われ、
そのまま院内で神経内科に回されることになりました。
そこから精密検査が始まりました。
神経内科で数回の検査を行った後、2017年12月頃、「ALSの可能性がある」という説明を受けました。
ただし、ALSは診断が非常に難しい病気であるため、その時点では確定診断には至らず、「しばらく経過を観察しましょう」という判断になりました。
約3か月間の経過観察を経ても、やはり判断が難しいということで、県内の大学病院への転院を勧められました。
そこで約1か月間の検査入院を行い、2018年6月、最終的にALSの確定診断に至りました。
受けた検査は、ほぼすべてと言っていいほどでした。
血液検査をはじめ、X線・CT、MRI、髄液検査、針筋電図検査、神経伝導検査など、ALSや神経・筋疾患で一般的に行われる一連の検査を受けました。
検査は、主治医のほかに3人の専門医が加わり、4人で1つのチームを組んで進められました。非常に丁寧で、慎重な診断だったと感じています。
検査入院を終えて退院した約2週間後、検査結果についての説明の場が設けられました。
医師側は先ほどの4人の先生方、私の側は私と妻が同席しました。
主治医から、ALSの場合「この症状があるからALSだ」と一つの決め手で診断することは難しく、さまざまな病気の可能性を一つひとつ排除していった結果、最終的にALSが残る、いわば消去法による診断であるという説明を受けました。
その後、セカンドオピニオンとして、東京の神経病院で約1か月間の検査入院を行い、そこでも「ALSで間違いない」との診断を受けました。
正直に言うと、最初はまったく信じられませんでした。
現実を受け止めるまでに、かなり時間がかかりました。
私には子どもが3人いるのですが、すぐに全員に伝えることはできませんでした。
タイミングを見ながら、少しずつ話すことにしました。
当時、上の子は大学生、真ん中は高専の2年生、下の子は中学3年生でした。
子どもたちには手紙を書き、「こういう病気で、こういう状況なんだ」ということを伝えました。
子どもたちがどう受け止めたのか、直接詳しく聞いたわけではありませんが、相当なショックを受けたのではないかと思います。
後から、次男がサッカー場で泣いていた、という話を聞いたこともありました。
ただ、幸いなことに、私の妻はとても前向きな人でした。
妻の姿勢を見ながら、子どもたちもそれぞれ自分なりに気持ちを整理し、受け止めていったのだと思っています。..........
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