
順天堂医院
中野 聡(なかの さとし) 先生
順天堂大学(医学部卒2010年)
「医師としての本質とは何か」
テクノロジー時代における“寄り添う医療”の意味を問う
患者の声を聞く——。 それは、医療の世界で長らく言われ続けてきた言葉である。
しかし現場では、時間的・制度的な制約の中で、その声が十分に汲み取られているとは限らない。
今回お話を伺ったのは、順天堂医院/中野聡先生。小児科医として臨床と研究に取り組む現役医師。現代医療の中で忘れられがちな“本質”について語っていただいた。
「実は、最初から医師になりたかったわけではないんです。」
そう穏やかに語りながら、彼は学生時代のことを振り返る。
彼の家族や親せきには、医師・看護師・薬剤師といった医療関係者が多い。
周囲からは「当然、医者を目指すのだろう」と思われていたが、本人の心は少し違っていた。
「“敷かれたレールの上をそのまま歩く人”と思われるのが嫌でした。だからこそ、高校生のときに、世の中にはどんな仕事があるのかを改めて調べたんです。」
そうして見えてきたのは、「仕事」というものの多様さ、そして「自分は何のために働くのか」という問いだった。
「会社員として働く姿を想像したこともあります。頑張れば業績を上げられるだろう、という根拠のない自信もありました。でも、それで誰かが不幸になることもあるんじゃないか、とふと思ったんです。そう考えると、自分の頑張りが本当に意味のあるものなのか、分からなくなりました。」
迷いの中で出てきた答えは、「人の役に立つ仕事をしたい」という素朴でまっすぐな気持ちだった。
「不幸になる人がいない仕事がしたい。そう思ったとき、医師という仕事は悪くないなと思ったんです。」
その思いを担任の先生に打ち明けると、先生は高校生を対象にした医療体験のチラシを手渡してくれた。
実際に病院を見学し、医療現場の空気に触れたことで、心の中で何かがはっきりと形になった。
「その風景を見て、医師になろうと決めました。親の影響というより、自分の意志で決めたかったんです。」
その後、医師として歩み始めた彼は、研修医時代に「臓器単位ではなく、人間全体を診る」医療に惹かれていった。
「医療って、どうしても“どこの臓器が悪いか”というふうに分けて考えがちです。でも、私は患者さんの“人格全体”を診たいと思った。そう考えたときに、小児科が自分に合っていると感じました。」
子どもを診るということは、病気だけでなく、その子の生活や家族、成長のすべてに関わることでもある。
だからこそ、「全力で医療をすることが肯定される場所」だと感じたという。
「自分がやらなくても他の誰かがやることなら、それでもいい。でも、誰もやりたがらないこと、やる人が少ないことを自分が引き受ける――。それこそに意味があると思っています。」
彼の原点には、そんな静かな情熱が息づいている。
「今の医療では、薬を使って治すことが医師の役割とされがちです。でも、それが本当に医師の本質なのでしょうか?」
穏やかな口調でそう問いかけるのは、日々の診療に加えて、患者や家族との“対話の場づくり”にも積極的に取り組む医師だ。
彼は、現代医療が「病気を治す」という一点に過度に重きを置きすぎていることに、かねてから違和感を抱いてきたという。
「医師という職業は、2000年以上も前から存在していました。当時は、今のように薬も検査機器もありません。それでも人々は医師を必要としていた。なぜかと考えると、医師の原点は“治す”ことだけではなく、“話を聞き、苦しみに寄り添う”ことにあるのだと思うんです。」
彼が勤務する診療科には、完治が難しい病気と向き合う患者が多い。
だからこそ、「治せない」状況の中で、どんなふうに患者と関わるかが問われる。
「もちろん、医学的に最善を尽くすことは大前提です。でも、それだけでは足りない場面がある。つらさや不安を言葉にできるよう支え、心の拠りどころになることも、医師にしかできない大切な役割です。」
そう語る彼の表情は穏やかで、確かな覚悟を感じさせた。
“治す”ことだけが医療ではない。病気とともに生きる人の人生に寄り添うこと――。
その姿勢こそが、医師という存在の根源にあるのかもしれない。.....
☆本記事は、日本アラジール症候群の会のご紹介・ご協力のもとに作成しました。
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