アルポート症候群 武田さん インタビュー(前編)

「病気があっても、やりたいことはやっていい」

アルポート症候群とともに歩み、ピザ職人、

キックボクシングに挑戦する武田さん


現在、都内の飲食店でピザ職人として働きながら、

「アルポート症候群の会」の患者会活動にも携わっている武田さん。


現在32歳の武田さんは、生まれたときから腎臓に関わる症状があり、

小学校5年生で透析を開始。その後、中学2年生で献腎移植を受けました。


一度は移植した腎臓が拒絶反応を起こし、再び透析生活へ。

現在も透析を続けながら、飲食店で働き、キックボクシングの試合にも出場しています。


「病気だからできない」と自分で限界を決めたくない。


そんな思いを胸に、仕事も趣味も、そして患者会活動も続けている武田さんに、

これまでの経験や、病気と向き合う中で大切にしてきたことについてお話を伺いました。

インタビュー目次

1.生まれた頃から続いていた腎臓の異常

2.小学校5年生で透析導入。そこで初めて知った「アルポート症候群」

3.「あいつは学校にお菓子を持ってきている」病気を理解してもらう難しさ

4.中学2年生で献腎移植。「できなかったこと」が少しずつできるように🔏

5.移植後の生活――「腎臓が戻った」だけでは終わらなかった🔏

6.「なんで透析をしていたんだろう」病気を自分自身で理解するように🔏

7.高校で、クラスメイトに自分の病気を伝えた🔏

8.なぜ「調理の学校」を選んだのか🔏

9.「できなかったことが、できるようになった」高校生活🔏

10.高校卒業後、東京で働くことを目指す🔏

生まれた頃から続いていた腎臓の異常

武田さんがアルポート症候群と確定診断されたのは、小学校5年生のときでした。

しかし、腎臓の異常そのものは、もっと幼い頃から分かっていたといいます。


「僕は生まれたときから尿にたんぱくが出ていて。

もともと母方の祖母と母親自身も腎臓が悪かったんです」


武田さん自身にも尿たんぱくがあり、

幼い頃から「腎臓が悪い」ということは分かっていました。

小学生の頃は、月に1回ほど病院へ通院していました。


ただ、当時はまだ、自分がなぜ病院へ行っているのか、病気が自分の将来にどう関係していくのかまで、

深く理解していたわけではありません。


「正直、そのときは何のために病院に通っているのか、よく分かっていなかったですね」


子どもの頃の武田さんにとって、病院へ行くことは、ある意味で日常の一部でした。

学校へ行き、友達と過ごし、家に帰る。その一方で、月に一度は病院へ行く。

「腎臓が悪い」と言われていても、それが将来的に透析や移植につながるとは、当時は想像していなかったといいます。


また、アルポート症候群は遺伝性の疾患であり、武田さんの場合も母親や祖母に腎臓の病気がありました。

今振り返れば、自分だけではなく家族の中にも同じように腎臓と向き合ってきた人がいた。


そうした背景もありながら、武田さん自身が病気について本格的に理解していくのは、もう少し先のことでした。


そして小学校5年生。

腎臓の状態が悪化し、透析を始めることになります。

このとき、アルポート症候群という病名が確定しました。

小学校5年生で透析導入。そこで初めて知った「アルポート症候群」


小学校5年生の頃、武田さんは透析を始めることになりました。


それまで「腎臓が悪い」とは分かっていても、

具体的な病名について、本人が詳しく理解していたわけではありませんでした。


透析が始まると、これまでとは生活が大きく変わります。


まず、透析のために病院へ通う時間が必要になります。

「透析導入して、ちょこっと入院してから、そこからは家の近くのクリニックで透析するようになって、

学校が終わったらすぐ病院に行くという形でした」


友達が学校から帰って遊んでいる時間に、自分は病院へ向かう。

授業が終われば、そのまま透析。

それが武田さんにとっての日常になっていきました。


また、透析を始めたことで、学校生活の中でもいくつかの制限が生まれました。

当時は激しい運動を控えるように言われていたため、マラソン大会など、一部の学校行事には参加できないこともありました。

給食にも制限がありました。


「牛乳だったりを半分しか飲めなかったりしました」


透析を受けている場合、体内の水分や栄養素などを適切に管理する必要があります。

武田さんの場合も、食事について注意することがあり、周囲の友達と同じように給食を楽しめない場面がありました。


さらに、栄養が不足しないように、栄養補助食品を学校へ持っていくこともありました。


「学校側には許可をもらって、カロリーメイトとか、ゼリー系みたいなものを学校に持っていくこともありました」


本人にとっては治療や栄養管理のために必要なこと。

しかし、病気について詳しく知らない周囲の子どもたちからすると、その理由は分かりません。

そこには、子どもだからこその難しさもありました。


「あいつは学校にお菓子を持ってきている」――病気を理解してもらう難しさ

武田さんが小学生、中学生だった頃は、周囲に病気について詳しく説明する機会は、

それほど多くありませんでした。


そのため、本人にとっては治療の一環であっても、

周囲から見ると「なぜ学校でお菓子を食べているのだろう」と思われてしまうこともあったといいます。


「周りから見たら、あいつは学校にお菓子を持ってきて、

お菓子を食べている、みたいな形ではあったと思います」

病気のために必要なことでも、その背景を知らなければ、周囲には伝わりません。

学校を早退することも、病院へ行くことも、給食に制限があることも、本人にとっては当たり前のこと。


一方で、周りの子どもたちからすれば、「なぜ自分だけ違うのか」という疑問が生まれることもあります。

武田さん自身も、すべてを周囲に説明していたわけではありませんでした。


「聞かれたら言う」という程度で、仲の良い友達には少しずつ話していたといいます。


「中学校の時は、部活だったり、クラスメイトには、少しよく仲良くする子とかにちょろっと言うぐらいはしてました」


自分から積極的に病気を説明するというよりは、必要になったときに伝える。

そんな距離感だったのかもしれません。

ただ、学校生活の中では、病気による制限だけでなく、「周囲に理解してもらえない」ということも、少しずつ心に残っていきました。


「小中学校時代は、やっぱり周りの病気への理解というのが、いろいろ壁があったのかなと思います」


そんな学校生活の中で、武田さんは中学生のとき、人生の大きな転機となる腎臓移植を経験します。......................................




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