「母親の『何か違う』は間違っていなかった」
―BLBSと診断されるまでの3年間半
妊娠中に「赤ちゃんが少し小さいですね」と言われたことから始まった、塩崎さんご家族の歩み。
生後まもなくから感じていた「何か違う」という違和感。
しかし、医療機関や周囲へ相談しても「気にしすぎでは」「発達には個人差がある」と言われ続け、
原因が分からないまま不安な日々を過ごしました。
それでも、お子さんの様子を一番近くで見守る母親としての直感を信じ、検査をお願いし続けた結果、
3歳半のときに世界でも報告例が少ない希少疾患「BLBS(Brain-Lung-Thyroid Syndrome)」であることが分かります。
現在は、同じ病気と向き合う家族をつなぐ患者会を立ち上げ、日本で治療につなげるための活動にも取り組まれています。
前編では、妊娠中から診断がつくまでの道のりや、誰にも理解されない不安の中で、
それでも「原因を知りたい」と歩み続けた当時の想いについて、BLBS患者会代表の塩崎様にお話をお聞きしました。
〇「何かおかしい」――その違和感は、妊娠中から始まっていました
〇コロナ禍で、ほとんど会えなかった我が子
〇「この子は、何か違う」
〇母親だからこそ分かる、小さな違和感 🔒
〇初めて「おかしいかもしれない」と言ってくれた人 🔒
〇「原因が知りたい」――諦めずに検査をお願いし続けた 🔒

塩崎さんが最初に不安を感じたのは、妊娠中期の妊婦健診でした。
医師から、「赤ちゃんが少し小さいですね」と伝えられたのです。
突然の言葉に不安を感じたものの、医師からは
「赤ちゃんが小さい理由の多くはお母さん側にあるので、あまり心配しなくて大丈夫ですよ」
と説明を受けました。
「まれに赤ちゃん自身に理由があることもありますが、多くは母体側の要因なので、そこまで心配しなくても大丈夫です。」
そんな言葉をかけてもらえたこともあり、塩崎さんは「きっと大丈夫」と自分に言い聞かせながら、出産の日を迎えたといいます。
そして迎えた出産は、妊娠41週での自然分娩でした。
お腹の中で十分な期間を過ごしていたにもかかわらず、お子さんの体重は約2,100グラム。予定日を過ぎて生まれた赤ちゃんとしては、とても小さな体でした。
「どうしてこんなに小さいんだろう。」
生まれてすぐに大学病院で詳しい検査が行われましたが、自発呼吸がしっかりできており、ミルクも飲むことができていたことから、
集中治療が必要なNICUではなく、体重の増加を見守るGCUへ入院することになりました。
入院中にはレントゲンなどさまざまな検査も行われましたが、原因となるような異常は見つかりません。
医師からは、「小さい理由は分からないけれど、大きな異常は見当たりません」と説明を受けたといいます。
唯一、聴覚スクリーニング検査では再検査となりました。
しかし、それについても「新生児では珍しいことではありません。よくあることなので、あまり心配しなくて大丈夫ですよ」と伝えられ、
大きな問題ではないと説明されました。
周囲からは「大丈夫」という言葉をかけられ、医学的にもはっきりとした異常は見つからない――。
それでも塩崎さんの胸の中には、「本当に大丈夫なのだろうか」という小さな不安が残り続けていました。
このときはまだ、その違和感が、後にBLBS(Brain-Lung-Thyroid Syndrome)という希少疾患の診断へとつながる長い道のりの始まりになるとは、
誰も想像していませんでした。
お子さんは、生まれてから約1か月間、体重が増えるまでGCU(新生児回復室)で過ごすことになりました。
一方で、塩崎さんは数日後に退院します。
本来であれば、退院後は赤ちゃんとの新しい生活が始まるはずでした。
しかし、塩崎さんを待っていたのは、赤ちゃんと離れて過ごす毎日でした。

お子さんが入院していた大学病院は、自宅から電車とバスで約1時間ほどかかる場所にありました。
塩崎さんは自宅で搾乳した母乳を持って病院へ通い、わずかな面会時間の中で我が子に会う生活を続けます。
しかし、その頃は新型コロナウイルス感染症が流行していた時期でした。
感染対策のため面会時間は大きく制限され、赤ちゃんに会えるのは一日にほんのわずかな時間だけ。
抱っこをしたり、ゆっくりと成長を見守ったりすることも思うようにはできませんでした。
「産んだのに、一緒に過ごせないんです。ほかのお母さんたちは授乳や沐浴をしながら赤ちゃんと過ごしているのに、
私はほとんど会うことができませんでした。」
同じ病院に入院していても、感染予防のため赤ちゃんのいる病棟へ自由に行くことはできず、母子が一緒に過ごせる時間は限られていました。
さらに、塩崎さん自身も赤ちゃんと同室になる病棟ではなく、管理入院中の妊婦さんや婦人科手術後の患者さんと同じ病室で過ごしていたといいます。
「自分だけが赤ちゃんと一緒にいられない。」
そんな思いを抱えながら過ごした入院生活は、とても孤独なものだったと振り返ります。
初めての出産で、本来であれば赤ちゃんを抱きしめ、泣いたらあやし、授乳をして少しずつ親子の時間を重ねていくはずでした。
しかし現実は、毎日病院へ通い、限られた時間だけ我が子に会い、また離れることの繰り返し。
「会えない時間が長く、本当につらかったです。」
退院後の生活は、喜びよりも不安や寂しさを抱えながら始まったのでした。

約1か月の入院を終え、お子さんが自宅へ帰ってくると、
塩崎さんはすぐにある異変に気づきました。
それは、お子さんがミルクをうまく飲めないことでした。
「飲めないというより、溺れながら飲んでいるような感じでした。」
哺乳瓶を口にくわえることはできるものの、飲むたびに息が苦しそうになり、
顔色が悪くなってチアノーゼ(皮膚や唇が青紫色になる状態)が現れることもありました。
当時は、「どうしてこんなに苦しそうなのだろう」と、不安な気持ちで毎回の授乳を見守っていたといいます。
最初は母乳で育てようとしていましたが、お子さんは吸う力が弱く、うまく母乳を飲むことができませんでした。
そのため、自宅で搾乳した母乳を哺乳瓶に移し替えて飲ませる生活が始まります。しかし、哺乳瓶に変えても状況は変わりませんでした。
「飲めてはいるんです。でも、普通の赤ちゃんのように飲めている感じではありませんでした。」
息継ぎがうまくできず、溺れるように苦しそうに飲む姿を目の前で見ながら、
「何かがおかしい」という思いは日に日に強くなっていったといいます。
現在振り返ると、BLBSによる筋力の弱さが影響していたのではないかと考えられますが、当時はまだ原因は分かりませんでした。
「目の前で一生懸命苦しみながら飲む娘を見て、何も出来ない自分に申し訳ない気持ちと、
赤ちゃんが苦しむ姿を見たくないという気持ちから、本来幸せである授乳/ミルクの時間がとても辛い時間になっていました。」
苦しみながら飲む様子をなんとかしたいと思った塩崎さんは、小児科医や助産師、保健師、家族など、相談できる相手には何度も話をしました。
「この飲み方は普通じゃない気がするんです。」
そう伝えても、返ってくる言葉は決まっていました。
「飲めているなら大丈夫ですよ。」
「赤ちゃんにも個性がありますから。」
「お母さんが気にしすぎなんじゃないですか。」
少しでも伝わればと、授乳中の様子を動画で撮影して医療者に見てもらうこともありました。
動画を見た医療者からは、「確かに少し苦しそうですね」と言われることもありましたが、
その後には必ず「でも飲めているので様子を見ましょう」という言葉が続きました。
「何か違う。」
その思いは日に日に強くなる一方でしたが、自分と同じような温度感で心配してくれる人は、なかなか現れませんでした。
「私の伝え方が悪いのかな。」
「気にしすぎなのかな。」
周囲から「大丈夫」と言われ続けるたびに、自分の感じている違和感に自信が持てなくなっていったといいます。
それでも、お子さんを一番近くで見守っている母親だからこそ感じる小さな変化は、決して消えることはありませんでした。
このとき抱いた「何かおかしい」という感覚こそが、その後の長い診断までの道のりを支える、大切な原動力になっていったのです。