軟骨無形成症 吉川 大悟朗さんインタビュー

「痛みも経験のひとつ。だから楽しむようにしています」

軟骨無形成症とともに生きる
津軽三味線奏者・吉川大悟朗さんインタビュー

兵庫県で家業の縫製業に携わりながら、津軽三味線奏者としても活動されている吉川大悟朗さん。


幼少期に軟骨無形成症と診断され、これまで29回もの手術を経験してきました。
それでも「痛みも今しかできない経験」と笑いながら語る姿がとても印象的でした。


今回は、幼少期のこと、三味線との出会い、そして同じ軟骨無形成症の当事者や
ご家族へのメッセージについてお話を伺いました。



インタビュー目次

〇「何かおかしい」母の気づきから始まった診断

〇4歳からの長期入院生活

〇29回の手術と脊柱管狭窄症との闘い 🔒

〇三味線との運命の出会い 🔒

〇演奏活動で大切にしていること 🔒

治療の進歩について思うこと 🔒

患者さんご家族へのメッセージ 🔒


「何かおかしい」母の気づきから始まった診断

吉川さんのお母さまが異変に気づいたのは、吉川さんが2歳頃のことでした。

当時は現在のように軟骨無形成症に関する情報が広く知られておらず、インターネットも普及していない時代でした。

そのため、身長の伸び方や体の特徴について相談しても、「子どもの成長には個人差があります」「こんなものですよ」と説明されることが多かったといいます。


それでもお母さまは、どこか違和感を抱き続けていました。

特に気になっていたのが手や指の形でした。


「手が特におかしいと思っていたみたいです。周りからは大丈夫だと言われても、母はずっと『何か違う』と感じていたそうです」


そしてある日、地元の病院に月に一度だけ診療に来ていた専門医との出会いが訪れます。


その医師が吉川さんの様子を見て、「これは軟骨無形成症ではないか」と指摘したことが、診断への大きなきっかけとなりました。

その後、複数の病院で検査や診察を受けながら、3〜4歳頃に正式な診断へとつながりました。

長く感じていた不安にようやく名前がついた瞬間でもありましたが、ご家族は必要以上に悲観することはなかったそうです。


診断を受けた当時のご家族の反応について尋ねると、吉川さんは笑顔でこう振り返ってくださいました。


「うちは“あかんかったら直したらええやん”という家族なんです。

落ち込むというより、じゃあどうしていこうかという感じだったみたいです」


実際、お母さまは診断がつくまでの間のほうが不安だったのではないかと吉川さんは話します。

原因が分からずモヤモヤした状態が続くよりも、診断によって今後の治療や対応を考えられるようになったことが、ご家族にとっては大きかったのかもしれません。


お父さまにも当時のことを聞いてみたそうですが、

「もちろん何も感じなかったわけではないと思うけれど、家族として前に進むしかなかった」

というような受け止め方だったそうです。


病気そのものに目を向けるだけではなく、

「これからどう生活していくか」「どんな治療ができるのか」という未来に目を向けていたご家族の姿勢は、

その後の吉川さんの前向きな生き方にもつながっているように感じられました。

4歳からの長期入院生活

診断後、吉川さんは治療のために4歳頃から長期入院を経験します。

入院期間は保育園の年長頃から小学校1年生の中頃まで、およそ1年半にも及びました。


現在では数週間から数か月程度で退院するケースも増えていますが、当時は長期間の入院が一般的だった時代です。

幼い子どもにとって、家族と離れて病院で生活することは決して簡単なことではありませんでした。


さらに、入院していた病院には「自立」を大切にする方針がありました。

そのため、付き添い入院ではなく、4歳という幼さで一人での入院生活を送っていたそうです。


「今考えると、4歳で自立を促されるのはちょっと早かったんじゃないかなと思います(笑)」


そう振り返る吉川さんですが、当時は治療やリハビリに向き合いながら、病院での日常を過ごしていました。


入院中の大きな楽しみは、週末の外泊でした。

金曜日の夜や土曜日の朝になると、ご家族が神戸の病院まで迎えに来てくれます。

そして久しぶりに自宅へ帰り、家族と過ごした後、日曜日の夜には再び病院へ戻る――

そんな生活を繰り返していたといいます。


「家に帰れるのは嬉しいけど、また病院へ戻らないといけない。

嬉しい気持ちと寂しい気持ちが混ざっていました」


幼いながらも、家族と離れて暮らす寂しさを感じていた一方で、病院での生活にも少しずつ慣れていったそうです。


また、お母さまから後になって聞いたエピソードも印象的でした。

家族としては、まだ小さな我が子を病院に残して帰ることに大きな不安や寂しさがあったそうです。

病院までは自宅から1時間半から2時間ほどかかる距離。

お母さまにとっても、毎週の送り迎えは決して楽なものではありませんでした。


しかし、そんな親心とは裏腹に、当の吉川さんは病院生活を意外にも楽しんでいたようです。

「病院のご飯がおいしかったので、母親が迎えに来ても『もう帰ってええで』と言っていたらしいです(笑)」

お母さまからは後になって、「ご飯に負けたんか」と笑い話として聞かされたそうです。


もちろん、長い入院生活は楽しいことばかりではありませんでした。

治療や検査、リハビリには痛みを伴うこともありましたし、幼い子どもが家族と離れて暮らすことへの不安もあったはずです。

それでも吉川さんは、持ち前の明るさで日々を乗り越えていきました。


また、入院中も学習が遅れないよう、病院と併設されていた養護学校(現在の特別支援学校)に通っていました。

病院と学校は渡り廊下でつながっており、車いすで移動しながら授業を受けていたそうです。


長期入院をしていても、退院後に地元の学校へ戻った際に学習についていけるよう、病院の先生方と地元の学校の先生方が連携を取りながら授業を進めてくれていました。


「今思うと、本当に先生方が熱心に支えてくださっていたんだなと思います」


幼い頃の長期入院は、吉川さんにとって大きな試練であると同時に、多くの人に支えられて生きていることを実感する原点にもなったのかもしれません。…



※会員登録をいただくと、吉川 大悟朗さんの
インタビュー記事の続きを読むことができます。

プロフィール設定の”関心のあるもの”より「インタビュー」をご選択ください。

会員登録はこちら
ログインはこちら


※軟骨無形成症についての情報がご覧いただけます。
患者さんご家族の体験談や医師のインタビュー、患者会の紹介を掲載しています。