
【第1回】突然の告知と、隠されていた「重症度」
通常、数十年をかけてゆっくり進行すると言われる指定難病「IgA腎症」。
しかし、新しく発足する患者会の代表を務める小野村さんは、
診断からわずか4年半というスピードで透析にいたる激しい経過をたどられました。
第1回となる今回は、健康そのものだった日常に突如として訪れた病の影と、
初期の情報収集において小野村さんが直面した「ある大きな壁」についてお聞きします。
〇突然の告知──健康自慢の日常に、潜んでいた「見慣れない数値」
〇「私は難病になった」ショックよりも先に訪れた、妙な納得感
〇欲しかったのは医療費助成ではなく、無理を止めるための「ストッパー」 🔒
〇後から知った、自分の本当の「重症度」🔒

ちょうど5年前の2021年3月、人間ドックを受けたのがすべての始まりでした。
そこで初めて、尿検査の数値(尿潜血・尿タンパク)に強い異常が出ていることが分かったんです。
「えっ、どうして!?」という驚きから始まりました。
本当に、健康診断で突然見つかったという形です。
全くありませんでした。ちょうど1年前の健診でも本当に何も異常がなくて、「数値もバッチリね!」と言われていたくらいです。
もともと体力には自信がありましたし、大きな病気もしたことがない。体調を崩しても回復が早く、自分は健康そのものだと思い込んでいました。
ただ、今振り返ると、3月の健診で分かる半年ほど前(秋頃)から、体にいくつかの異変は感じていたんです。
体調自体が悪いわけではないのですが、「急に太ってきたな」と。私はもともと体格が良いのですが、足だけは細いのが自慢だったんです。
ところが「あれ? 私の足、こんなに太かったっけ?」と思うようになって。
それに、妙に尿が泡立つな、ということにも気づいていました。
「こんなに泡立っていいのかな?」と、心の中では少しやきもきしていたんです。
当時はちょうど、社会全体が非常に慌ただしく、大変な時期でした。
私は職場でその対応にあたる責任ある立場にいたため、とにかく日々の業務に追われていたんです。
お仕事自体が大好きだったこともあって、自分の体の変化をあまり気に留めないようにしていました。
でも、3月の人間ドックでいよいよ「これは尋常ではないぞ」という数値が出てしまって。
普段、職場のメンバーや周囲の人には「体調が悪ければすぐにお医者さんに行った方がいいよ!」と言う立場なのに、
いざ自分のこととなると、なかなか病院に行けないものなんだなと痛感しましたね。
最終的に、いくらなんでも体調がおかしいと思って血圧を測ったら、信じられないほど高い数値になっていたんです。
これはもう「大丈夫だろう」なんて言って休まないでいる場合じゃない、と観念してすぐに専門医を受診しました。
そこから「IgA腎症」という病名が分かるまでは、本当に早かったです。
血液検査でもすでに腎臓の数値(クレアチニン)が高くなっていて、
精密検査のために3〜4ヶ月後には「腎生検」という検査を受けるために入院することになりました。
私自身は、特定の数値が高かったこともあって「ああ、やっぱりそうだったんだな」と、どこか客観的に受け止めていました。
入院中にインターネットで病気について調べたのですが、
例えば他の神経系の難病のように「手足がすぐに動かなくなるような病気」ではないんだな、と分かって。
最悪の場合は将来的に「人工透析」になると書かれてはいましたが、当時はまだ透析がどんなものなのか、自分でもよく分かっていなかったんです。
だから、病名を聞いて頭が真っ白になったり、ものすごいショックを受けたりということはありませんでした。
「気のせいじゃなくて、ちゃんと病気だったんだ」「私は難病になったんだな」という、妙な納得感の方が強かったかもしれません。
私がそんな風に淡々としていたので、家族も「あ、そうなの?」という感じで、みんなまだ病気の重大さがよく分かっておらず、
家族中がショックに包まれるようなこともありませんでしたね。
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自分の正確なステージを知らぬまま、職場へと復帰した小野村さん。
しかしそこには、変わらぬ仕事とその責任、治療との過酷な戦いが待っていました。
次回、【第2回:仕事と治療の狭間で、迫りくる透析】へ続きます。
※IgA腎症についての情報がご覧いただけます。
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