
【第1回】「一人じゃない」と実感できたブログの発信。
不安と孤立を乗り越えた当事者の歩み
「突然の診断を受け、どこにも相談できる場所がなかった……」。
自覚症状がないままIgA腎症と診断され、透析という未来への不安を突きつけられた堀さん。
今回から4回にわたり、新たに発足する「IgA腎症患者・家族会」の副代表を務める堀さんのインタビューをお届けします。
第1回となる今回は、診断当時の率直な葛藤や、
「当事者が繋がれる場所」を求めて始めたブログ『そらまめ日和』を通じて得られた仲間との出会い、
そして前向きに発信を続けるための工夫について伺います。
〇突然の診断と「寛解は無理」というショック──子どもの存在を支えに乗り越えた日々
〇相談できる窓口がない孤独から、ブログ『そらまめ日和』を開設
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〇ブログを通じて出会った「仲間」からの学びと救い 🔒
〇発信を楽しく無理なく長く続けるための「マイルール」 🔒
一番不安に思ったのは、腎生検後の確定診断で病名を告げられた時です。
同時に「非常に腎臓の状態が悪いため寛解は無理です。
寛解できる時期は過ぎてしまっているので、いかに透析を先延ばしにするかしか治療法はありません」と、最初から言われてしまったんですね。
自覚症状が本当になかったのに、透析というものが急に自分事として目の前に迫ってきたので、
ショックを通り越して呆然としながら先生のお話を聞いていた気がします。
ですが話を聞いている間も、「なんとかしなきゃ」「自分がそんなことで透析になるわけにはいかない」という気持ちしかありませんでした。
当時は子供が3人いましたので、子供たちが社会人になるまでは健康で働いて大学を出してあげたい、まずそこを強く思いました。
そうですね、ときどき尿潜血で引っかかることはありました。
ただ、あまり重要視していなくて、別のタイミングで再検査するとマイナスになっていたりしたので
「もう大丈夫なんだろうな」と思ってしまっていたんです。
妊娠中に蛋白が出たり、血圧が高くなったりしたこともありましたが、「まあそんなものかな」と見過ごしていました。
一番上が大学1年生、2番目が高校2年生、一番下が小学6年生でした。
これから一番お金がかかるタイミングでしたので、子供のことが真っ先に頭に浮かびましたね。
一番大きなきっかけは「患者会がなかったこと」です。
色々調べても相談できる窓口が本当にありませんでした。透析導入後の患者会はあるのですが、透析にならないための患者会がなかったんです。
そのためSNSなどの情報を探しに行くしかなかったのですが、そこでIgA腎症についてブログで発信されている方々を見かけ、
「自分も患者の立場として発信してみよう」と軽い気持ちで始めたのが最初でした。
お互いに「いいね」で共感し合ったりコメントをいただいたりする中で、「自分は一人じゃない」という連帯感が感じられてすごく嬉しかったです。だからこそ、「患者会がない」という辛い経験が、今回の小野村さんからの声かけ(患者会立ち上げ)にもつながり、「絶対にやりたい!」と思いました。
特にIgA腎症は独特だと感じていました。
当時は治療法も確立されておらず、「よく分からない病気だな」と自分でも思っていたんです。
また、治療法に関しても「扁摘パルス療法」に対して議論が活発な時期だったため、
本当はどうすればいいのかを知りたくて「IgA腎症の患者会」を探していました。
次回は、3人のお母さん・当事者として過ごしてきた日々のリアルな暮らしや、ご家庭での食事管理・減塩の工夫についてお届けします。お楽しみに!
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