脊髄性筋萎縮症 体験談インタビュー➀


SMAと共に歩む日々、一人の母が語る「気づき」「不安」「支え」そして未来

脊髄性筋萎縮症(SMA)2型と診断されたお子さん(現在は中学2年生)を育てるお母さまに、
発症に気づいた瞬間から、診断、治療、学校生活、支援制度、そして患者会とのつながりまで、長い年月を振り返りながらじっくりお話を伺いました。


言葉の一つひとつには、当時の不安や戸惑い、そして現在の確かな希望が込められていました。

インタビュー目次

〇「10ヶ月健診で初めて気づいた違和感」――あの日から始まった新しい生活

〇診断後に始まったリハビリと生活の工夫 ― “椅子”が支えてくれた日常

〇群馬から東京へ ― “動かせない身体”を守りながらの通院 🔒

〇学校生活 ― バリアフリーの工夫と、学校との対話 🔒

〇支援制度に助けられつつ、制度の“難しさ”にも直面 🔒

〇ロボットスーツによる入院リハビリ ― 3週間の“親子入院” 🔒

〇患者会との出会い ― “安心と希望”をくれた場所 🔒

〇情報サイトへの期待 ― “ここを見れば全部わかる”場所がほしい 🔒

〇未来への不安と、揺るがない願い 🔒

「10ヶ月健診で初めて気づいた違和感」――あの日から始まった新しい生活

「最初は本当に、ちょっとしたサインだったんです。

10ヶ月健診で『体が柔らかいですね』と言われて…。先生の表情が少し曇ったのを覚えています。」

普段の様子では、そこまで強い違和感はなかったといいます。

しかし健診をきっかけに、かかりつけ小児科を受診。すぐに専門病院を紹介され、検査を実施。

「10ヶ月健診のすぐあとに診断が出たので、本当に息つく暇もなく…。」

母として、「これからどうなっていくのか」「何をすればいいのか」まったくわからないまま、手探りの日々が始まりました。

診断後に始まったリハビリと生活の工夫 ― “椅子”が支えてくれた日常

「最初に作ったのは、家で姿勢を維持するための椅子でした。

子どもに合わせたサイズで作られていて、座ると安定しやすくなったんです。」

椅子は成長のたびに作り替える必要があります。

そのたびにリハビリ病院でサイズ調整を行い、生活に合わせて微調整してもらったと言います。

しかし、リハビリ面では課題も顕著でした。

「道具はあるのに、先生が不足していて…。

『せっかく通いたいのに、専門の先生がいない』という状況が続く時期もありました。

リハビリの重要性を感じながらも、満足いく支援が受けられないもどかしさがありました。」......


☆本記事は、一般社団法人SMA家族の会のご紹介・ご協力のもとに作成しました。

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