人工呼吸器とともに、子育ても“やりたい”もあきらめない暮らし
刀根実幸(とね まみ)さんの素敵なお話を前後半に分けて、お届けします。
【目次】
1.はじめに
4.🔏地域の学校へ。「特別扱い」ではなく“自然な関わり”
5.🔏出産という大きなチャレンジ
※「🔏」の箇所を、会員限定となっております。
お写真は、刀根さんご家族の許可を頂いて掲載しております。
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先天性筋ジストロフィー福山型とともに生きながら、出産・子育て・創作活動・地域とのつながりを大切に暮らしている刀根実幸さん。
「やりたいことを、どうしたらできるかを考える」
そんな言葉がぴったりのインタビューでした。
今回は、ご本人とお母さま(河津真由美さま)、旦那さま(徹朗さま)へのお話をもとに、診断当時のこと、出産や子育て、日々の工夫、そして今後の夢についてまとめました。
実幸さんに異変が見られたのは、生後3か月ごろ。
赤ちゃん特有の「足をピーンと伸ばす動き」がなく、お母さまは違和感を覚えたと話してくださいました。
「周りからは“気にしすぎじゃない?”」とも言われました。でも、母親として、やっぱりどこか違うように感じていたんです」
お母さまは、生後6か月頃から健診や小児科、整形外科など複数の医療機関を受診しました。
しかし当時は、先天性筋ジストロフィー福山型に関する理解や診断技術も今ほど進んでおらず、複数の病院を受診しても、「1歳になるまでは分からない」と言われ続けました。
それでも不安が消えず、専門医を受診。
そこで先天性筋ジストロフィー福山型の可能性を指摘されました。
さらに医師からは、
「3歳を越えられるかな」
「20歳までの命」
と告げられ、頭が真っ白になったと振り返ります。
診察室を出た後の記憶が曖昧になるほど、大きな衝撃だったと語ってくださいました。

当時は、現在のように血液検査や遺伝子検査だけで診断ができる時代ではなく、筋肉を採取する「筋生検」が必要でした。
まだ幼い子どもに対し、十分な麻酔もないまま行われた時代でした。
「泣き声がずっと聞こえていました」
検査室の外で、その声を聞きながら待つことしかできなかったお母さま。
“病気を知るために必要な検査”だと分かっていても、わが子が苦しむ姿を見ることは、親としてあまりにもつらい時間だったといいます。
また、一部の病院では「データを残すため」に、毎年筋生検を行う方針が取られていたそうです。
しかし、お母さまは強く疑問を感じました。
「病気が分かっているのに、毎年あんな痛い検査を続ける必要があるのだろうか」
そして、“検査のための医療”ではなく、“生活のための医療”を求め、病院を変える決断をします。
その後出会った病院では、
「もう無理に検査をしなくていい」
「この子がどう生活していくかを考えていきましょう」
と言ってもらえたことが、大きな救いになったといいます。
そこから、実幸さんご家族の“地域で生きる”挑戦が始まっていきました。


診断後、実幸さんご家族は、治療やリハビリについて模索する日々を過ごしていました。そんな中で、お母さまの心に強く残ったのが、先生からかけられた言葉でした。
「歩けるようになることを目標にするよりも、社会性を身につけさせてあげることが大切です」
その言葉は、お母さまにとって大きな転機になりました。
病気があるからといって、家の中や限られた環境だけで過ごすのではなく、地域の子どもたちの中で育つこと。友だちと遊び、けんかをし、まねをしながら、自分の世界を広げていくこと。その大切さを教えてもらったといいます。
そこでお母さまは、実幸さんを地域の保育園に通わせたいと考えました。しかし、受け入れ先を探すのは簡単ではありませんでした。
当時は、車いすを使う子どもや介助が必要な子どもを地域の保育園で受け入れることが、今ほど一般的ではありませんでした。設備が整っていないことや、対応できる職員がいないことを理由に、入園を断られることもあったそうです。
それでもお母さまはあきらめませんでした。
そして隣町の保育園が、実幸さんを快く迎えてくれることになりました。
その保育園にも、特別な設備がそろっていたわけではありません。教室は2階にあり、エレベーターもありませんでした。最初のうちは、先生がおんぶをして階段を上り下りしてくれていたそうです。
けれど、子どもたちと一緒に過ごす中で、実幸さん自身にも「みんなと同じようにやってみたい」という気持ちが育っていきました。友だちが階段を上り下りする姿を見て、自分もお尻を使って一段ずつ移動するようになったり、少しずつ自分なりの方法を身につけていったといいます。


お母さまは、その姿を見ながら、
「親がどれだけ教えようとしても時間がかかることが、子ども同士の中では自然に身についていくんです」
と感じたそうです。
保育園での日々は、実幸さんにとって、できることを増やすだけの場所ではありませんでした。人と関わる楽しさ、自分の気持ちを伝えること、友だちと同じ時間を過ごす喜び。そうした土台を育てる、大切な時間になっていきました。
▶『【後半】「できない」で終わらせない。人工呼吸器とともに、子育ても“やりたい”もあきらめない暮らし』はこちら。
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