脊髄性筋萎縮症 ウッディさん インタビュー


自分で選び、自分で生きる

― SMA当事者・ウッディさんが語る「選択」と「自立」のかたち ―


脊髄性筋萎縮症(SMA)の当事者であるウッディさんにお話を伺いました。

幼少期に診断を受けてから現在に至るまでの歩み、一人暮らしという大きな挑戦、そしてSNSや文章を通じた情報発信に込めた思いについて、率直に語っていただいています。



生まれて間もなく病気と向き合うことになったウッディさんは、入院生活や家族との時間、社会との関わりの中で、少しずつ自分なりの生き方を模索してきました。決して平坦ではない道のりの中で、それでも「自分で選ぶこと」「自分で決めること」を大切にしながら、一歩ずつ前に進んできたといいます。


今回のインタビューでは、診断当時のことから、病院と学校を行き来した幼少期、在宅ワークを経て一人暮らしを実現するまでの背景、そして現在の暮らしや価値観の変化について詳しく伺いました。また、同じ病気を持つ方やそのご家族、さらには社会全体に向けて伝えたいメッセージについてもお話しいただいています。


ウッディさんの言葉には、「できる・できない」にとらわれるのではなく、「どう生きたいか」を軸に選択していくことの大切さが込められています。日々の暮らしの中で見つけた気づきや、小さな挑戦の積み重ねは、多くの方にとって新たな視点や希望につながるはずです。


ぜひ最後までご覧ください。


インタビュー目次

〇診断は1歳頃。違和感から始まった気づき

〇病院と学校を行き来した幼少期

〇在宅ワークから模索の時間へ 🔒

〇SNSが広げた世界と「一人暮らし」という選択 🔒

〇「自分の時間」を取り戻した生活 🔒

発信は「自分らしく生きるため」 🔒

「頑張ればできる」だけではない 🔒

社会との「ズレ」を埋めるために 🔒

「自分で生きる」ための軸 🔒

おわりに 🔒

診断は1歳頃。違和感から始まった気づき

ウッディさんが脊髄性筋萎縮症(SMA)と診断されたのは、1歳を過ぎた頃のことでした。


乳児期の発達の中で、周囲の子どもたちと比べて「少し違うかもしれない」という小さな違和感が、最初のきっかけだったといいます。


「ハイハイやつかまり立ちはしていたんですけど、“歩かないな”という違和感があったみたいで。表情の出方にも少し差があるということで、病院を受診しました」


一見すると大きな異常があるわけではないものの、発達のスピードや反応の違いに、ご家族は慎重に向き合っていました。しかし、最初に受診した地元・愛媛県の病院では明確な診断には至らず、「はっきりとは分からない」という状況が続きます。


そこで紹介されたのが、香川県にいる専門医でした。より専門的な視点での診察と検査を受けるため、県をまたいで通院することになります。幼い子どもを連れての移動や慣れない環境での受診は、本人にとってもご家族にとっても決して容易なものではありませんでした。


香川県の病院では、症状の観察に加えて、筋肉の一部を採取して調べる「筋生検」といった専門的な検査も行われました。こうしたプロセスを経て、最終的にSMAの診断が下されます。


「発症時期については、あとから振り返って“おそらく生後10か月頃ではないか”と言われていました」


診断に至るまでには時間と複数のステップが必要であり、その過程には不安や戸惑いもあったはずです。それでも、ご家族が感じた小さな違和感を見過ごさず、専門医へとつながったことが、早期の診断へとつながっていきました。


この“最初の気づき”は、その後の治療や生活、そしてウッディさん自身の人生の歩みにおいて、大きな意味を持つ出発点となりました。

病院と学校を行き来した幼少期

診断後、10歳少し前頃までは地元の愛媛で普通学校に通っていました。

幼稚園、小学校とも一般と同じ子たちとの環境で過ごしました。

ウッディさんは香川県の病院に通いながら生活する日々が始まりました。


幼い体での通院は決して簡単なものではなく、地元・愛媛県の自宅と病院を行き来する生活が続きます。


小学校低学年までは、自宅での生活と入院・通院を繰り返しながら、治療と日常を両立させる日々を過ごしていました。


「当時は、家で過ごす時間と病院での時間を行き来するような生活でしたね」


慣れ親しんだ自宅での時間と、医療的ケアを受ける病院での時間。その両方を行き来する中で、生活のリズムを保つこと自体が一つの大きな課題でもありました。

しかし、成長とともに体調の変化が見られるようになり、加えて家庭環境の変化も重なります。そうした背景から、長期入院という選択をすることになりました。


「体調を崩したタイミングもあって、長く入院することになりました」


入院生活は決して特別なものではなく、ウッディさんにとっては日常の延長でもありました。

その中で大きな支えとなったのが、病院に併設されていた養護学校の存在です。小学四年生あたりでこの養護学校に転入しています。


「入院していた病院に養護学校が併設されていたので、療養しながら学校生活を送るようになりました」


治療を受けながらも学びの機会が確保されていたことで、医療と教育の両立が可能となり、安心して日々を過ごすことができたといいます。
病院という環境の中でも、同じような境遇の子どもたちと関わりながら、学校生活を送ることができた経験は、ウッディさんにとって大きな意味を持つものでした。


その後、この生活スタイルは高校卒業まで続きます。

親元を離れ、病院での生活を中心としながら、週末などに実家へ戻るというリズムの中で成長していきました。

幼い頃から「家」と「病院」という二つの場所を行き来しながら過ごした経験は、環境の変化に柔軟に対応する力や、自分なりの生活を築いていく基盤となっていきます。


この時期に培われた経験が、後の一人暮らしや自立した生活へとつながっていく、大切な土台となっていきました。....



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