CIDPと向き合う画家・イラストレーター 古山拓さんインタビュー

(前半)【しびれと痛みの中でも、描き続ける】

CIDPと向き合う画家・イラストレーター 古山拓さんインタビュー 

インタビュー目次

画家・イラストレーター 古山拓さんの素敵なお話を前後編に分けて、お届けします。


【目次】

1. 画家・イラストレーターとして歩んできた道

2. 絵を描くことは「呼吸している感じ」

3. 「何が好きなんだろう」――旅で見つけた自分の表現

4. CIDPのはじまりは、お風呂で感じた足先のしびれ

5. 🔏診断までの1年――脳神経内科につながるまで

6. 🔏「一回で治ると思っていた」治療との向き合い方




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イーゼル‗イメージ


1. 画家・イラストレーターとして歩んできた道

画家・イラストレーターとして活動する古山拓さんは、透明水彩画を中心に、絵本や児童書、書籍、広告、個展など、さまざまな場で作品を発表してきました。


もともと美術大学で絵を学んだわけではなく、大学時代に学んでいたのは歴史でした。西洋古代史を学び、卒業後はアニメーターとして仕事を始めます。その後、広告制作プロダクションでイラストレーターとして働き、技術は本や実践を通して身につけていきました。


古山さんは、これまでの歩みをこう振り返ります。

「僕、美大とか、専門学校に行って、絵描きになった人間じゃなくて。大学生時代は歴史の方を勉強してたんですね。西洋古代史をやってて、全然絵の方の勉強じゃないんですね。絵は好きでしたけど」


アニメーターとして仕事を始めたあとも、必要な技術は自分で学び続けたといいます。

「絵は独学です。いろんなクロッキーしたり、デッサンしたり、そうしないとなかなか食べれない世界だったんで」


その後、古山さんはイラストレーターとして独立。自分のアトリエを立ち上げ、次第に水彩画の個展も開くようになりました。現在は、依頼を受けて描くイラストレーションの仕事と、自分自身の表現として描く水彩画の制作が、活動の大きな柱になっています。


「水彩画の制作、自分と向き合って描く仕事と、あとはイラストレーションっていうのは、ある意味、出版社とか著者さんとのコラボレーションですよね。自分で好きに描くって意味じゃなくて。そういう2本の柱でやってます」


古山さんにとって、絵は職業であると同時に、自分と向き合い、人とつながるためのものでもあります。その大切な表現に、CIDPによるしびれや痛み、手足の感覚の変化が影響するようになりました。


古山さん作品 イメージ

2. 絵を描くことは「呼吸している感じ」

ーーー絵を描くことは、古山さんにとってどのような存在なのでしょうか。


画家・イラストレーターとして長く活動してきた古山さんにとって、描くことは日々の仕事であり、自分自身と向き合う時間でもあります。けれど、それは単純に「楽しいから描く」という感覚とは少し違うといいます。

「明らかにもう趣味じゃないんです。描いてて、なんでしょうね、呼吸している感じって言うんでしょうか


自分の中にあるものを作品として表に出していく時間には、悩みや苦しさも伴います。


「楽しいでしょって言われると、いや、決して楽しいってわけじゃない。むしろ辛い方が多いわけですね。自分と向き合って、自分を出していく個展の制作なんて、特にもう悩みまくりです」

それでも、自分の感覚と表現が重なる瞬間には、特別な手応えがあります。


「自分とピタッとした表現になった時っていうのは、やっぱりとてもこう……うまくやったな、みたいな」

一方で、描くことは感覚だけで成り立つものではありません。仕事として、時間を区切り、制作に向かうことも大切にしています。


「朝から晩まで描いてるわけじゃないです。やっぱりそこが仕事なんでしょうね。事務方と時間を使い分けて描いてる」

古山さんにとって絵を描くことは、単なる職業ではなく、自分と向き合いながら続けてきた営みでもあります。


そのため、後にCIDPによって手の感覚や描き方に変化が生じた時、その影響は「仕事がしづらくなる」ということだけにとどまりませんでした。長く続けてきた表現と、これからどう向き合っていくのか。古山さんは、病気を経験した後、その問いにも向き合うことになります。


3.「何が好きなんだろう」――旅で見つけた自分の表現

古山さん作品 イメージ

古山さんにとって大きな転機となったのが、初めての個展でした。

1994年にイラストレーターとして独立し、その3年後の1997年に初めて個展を開きます。しかし、それは最初から「個展をやりたい」と考えて準備したものではありませんでした。


フリーランスとして仕事を始めた当時、古山さんは依頼された仕事に朝晩関係なく取り組んでいました。注文された仕事はきちんと納めることができる。けれど、自分自身の表現として何を描くのかを問われた時、答えが出てこなかったといいます。


「自分でお客さんから受けた仕事はきちんとできるんだけど、『あなた、自分で好きなように描いて』って言われたときに、『僕、何が好きなんだろう…?』っていうね」


「依頼された仕事はきちんと収めることができたんですけど、自分自身の絵は?と言われた時に、全然描けなかったんですよ」

体調を崩したこともあり、古山さんは仕事をすべて整理し、10日間ほど一人でイギリスへ向かいました。リュックを背負い、イギリスの岬であるランズエンドを目指す旅でした。


「旅を進める間に出来上がっている絵が多分、自分が一番好きで描きたいものなのかもしれないと思いました」


旅先で描いたスケッチを日本に持ち帰った時、古山さんは自分の中にあるものに気づきます。

「あ、あれ、自分はこういうのが好きなんだ…っていう感覚です。水彩で旅風景をさらっと描いたスケッチでしたけどね。旅先で。それがはっきりわかった」

そのスケッチブックを知人に見せたことが、初めての個展につながりました。当時の古山さんにとって、それまで個展は特別なアーティストだけが開くものというイメージがありました。


「個展という発表スタイルは、もう本当にスペシャルなアーティストがやるもんだって僕は思ってました、その時までは。だから個展をするって全然考えてなかったんですけど」

旅のスケッチを額に入れ、会場には実際に使っていたリュックやキャップ、絵の具も置きました。作品だけでなく、旅そのものを楽しんでもらうような展示でした。

「会場には自分の持っていたリュックとか、キャップとか絵の具とか、ずらっと置いて、旅自体の空気を楽しんでもらおう…みたいな。そういうふうにとことん遊んだんですね」


その展示は来場者に喜ばれ、「次はどこへ行くのか」と声をかけられました。そこから2回目、3回目と、旅をテーマにした個展が続いていきます。

その後も、旅をして、その土地で描いた作品を個展で発表するという形が続いていきました。


アイルランドの西の端、アラン諸島まで足を運んだこともあります。旅をしながら描き、その道のりを展示にする。古山さんは、それを「ロードムービーっぽい個展」と表現しました。

「アイルランドの旅は、それこそ西の端っこにアラン諸島っていうのがあるんですけど、そこまで行ってみようって。そこからの映画じゃないですけど、ロードムービーのような個展になっていました」


旅先で絵を描いていると、現地の人から声をかけられることもありました。

「言われるときもありますね。見てて、『すごくいいね』なんて言ってくれた」

古山さんは、旅を通して、自分が描きたいものを見つけていきました。依頼された仕事に応えるだけではなく、自分の中から出てくるものをどう描くのか。その問いに対するひとつの答えが、旅の風景を描くことだったのかもしれません。

後にCIDPを経験してからも、古山さんは表現の方法を探し続けています。思うように筆が動かない日があっても、これまでと同じ描き方が難しくなっても、「今の自分に合う描き方」を探しながら、描くことを続けています。


4.CIDPのはじまりは、お風呂で感じた足先のしびれ

CIDPの症状が最初に現れたのは、足先のしびれでした。


きっかけは、お風呂に入っている時に感じた、足の先のピリピリとした感覚。けれど、その時点では、神経の病気や難病につながる症状だとは考えていませんでした。

「はじまりは、お風呂に入った時に、足の先に感じたピリピリっていうしびれだったんですよね」


「最初、冬だったので、何とも思わずに、寒さで血管が収縮してピリピリしてるのかな?っていうふうに思ってました」

最初の違和感は、日常の中で起こり得る小さな不調のようにも感じられました。寒さのせいかもしれない。血流の問題かもしれない。少し様子を見ればよくなるかもしれない。そう思ってしまうほど、はじまりは些細な感覚だったといいます。


しかし、そのしびれは少しずつ変化していきました。

足先だけだった感覚が、ふくらはぎの方にも残るようになり、さらに腰まわりには脱力感のような症状も出てきました。急に大きく悪化したというより、気づけば範囲が広がっていくような経過でした。


「それが徐々に広がってきて、ふくらはぎの方にしびれが残ってみたりとか、次第に上半身にも上ってきたんですよね。肩や首、左右の手にも、なんか脱力感やしびれ、感覚の麻痺みたいなのが出てきたり」

しびれや脱力感が出ても、すぐに脳神経内科の病気だとは思いにくいものです。古山さんも当初は、腰や背中、神経の圧迫など、整形外科的な不調ではないかと考えていました。


「とりあえず整体行ったり、鍼灸行ったりして。整形だと思っていたんですけど」

そのため、整体や鍼灸院などにも通い、原因を探しました。症状が続く中で、いくつもの治療院を訪ねたといいます。

「治療院も転々としました。ずいぶんお金をかけましたよ」


古山さんの経験から分かるのは、CIDPのような病気の始まりが、必ずしも「これは大きな病気かもしれない」と分かる形で現れるわけではないということです。

足先のピリピリしたしびれ。寒さや血流のせいかもしれないと思える違和感。整形外科的な不調のように感じる脱力感。そうした症状が少しずつ広がっていく中で、古山さんは原因を探し続けることになりました。


5.🔏診断までの1年――脳神経内科につながるまで

6.🔏「一回で治ると思っていた」治療との向き合い方


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