「マコにはマコの人生がある」
―福山型先天性筋ジストロフィーの娘と歩む、加藤さくらさんが大切にすること
加藤さくらさんの素敵なお話を前中後編に分けて、お届けします。
【目次】
1. 16歳になったマコさん。「一人の高校生」として向き合う
3. 「この子は穏やかな子なんだ」―小さな違和感から診断まで
5. 🔏病気や障害があることと、その子が幸せかどうかは別の軸
6. 🔏同じ病気の家族には「ゼロから説明しなくていい」
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加藤さくらさんの次女・マコさんは、福山型先天性筋ジストロフィーのある16歳。現在は特別支援学校の高等部2年生です。
「今は、ほぼ全身の筋力がないので、自分で起き上がったり、立ち上がったり、手を上げたりすることはできません。一方で、心の成長は著しくて、本当に16歳の女の子として育っていく姿を見るのは、すごく楽しいです」
身体の動きや使える言葉が限られているため、周囲から幼い子どものように接されることもあります。
しかし、加藤さんが大切にしているのは、マコさんを年齢相応の一人の高校生として見ることです。2歳上のお姉さんを育ててきたからこそ、接し方の違いに気づくこともあったといいます。
「お姉ちゃんには高校生として接しているのに、どうして私はマコには幼い子にするような接し方をしてしまうんだろう、と自分に問い続けてきました」
お姉さんが高校生になってアルバイトを始めると、マコさんも「自分もバイトをする」と意思を示しました。
重度の障害がある人を受け入れる一般的なアルバイト先は、簡単には見つかりません。それでも、加藤さんが友人たちに話すと、単発で働く機会を提案してくれる人が現れました。マコさんは、福祉の専門学校の授業に関わる仕事などを3年間経験し、自分でお金を得る経験を重ねたそうです。
そのお金で入ったのが、大好きなバンド・BEGINのファンクラブでした。幼い頃から家族で何度も沖縄を訪れてきたマコさんは、BEGINのライブにも足を運び、演奏を見ながら涙を流しました。
「ライブに行きたいからファンクラブに入るって、自分のバイト代で入ったんです。身体には疾患がありますが、好きなものがあって、やりたいことを自分で表現する。そういう意味では、本当に等身大の高校生です」
加藤さんが現在、mogmog engine(もぐもぐえんじん)と並んで力を入れているのが、NPO法人オンザロードで始まった「障害のある子どもたちの冒険」の活動です。
オンザロードは、災害支援や、逆境の中にいる世界の子どもたちの自立支援などを続けてきた団体で、加藤さんは近年、その活動に加わりました。
「障害のある子どもたちが安心・安全な生活を送ることは、もちろん大切です。でも、安心・安全であることだけが人生の幸せなのだろうか、と考えるようになりました。命を守りながら冒険できる環境を、大人が用意することも大事だと思っています」
活動では、障害のある子どもたちと無人島を訪れるツアーや、自給自足を体験するツアーなどを実施しています。無人島ツアーに同行した監督が子どもたちの姿を撮影したことをきっかけに、ドキュメンタリー映画『Return to My Blue』が生まれ、マコさんもメインキャストの一人として出演しました。
上映は、車いすを利用する人や、途中で声が出る人なども一緒に楽しめるインクルーシブな形で行われました。加藤さんは、作品の内容だけでなく、これまで映画館へ行きづらかった子どもたちが映画館デビューできる環境そのものも、多くの人に体験してほしいと話します。

マコさんの発達について最初に気になったのは、赤ちゃんの頃でした。加藤さんには2歳上のお子さんがいたため、姉妹の成長の違いを感じていたといいます。
「初めての子育てだったら、そこまで気にならなかったと思います。赤ちゃんは、少しずつ首がすわり、脇を持って縦抱きにすると足をぴょんぴょん動かしたり、寝ながらブランケットを蹴ったりしますよね。マコには、そういう動きがまったく見られませんでした」
ただ、マコさんは目が合い、よく笑い、毎日機嫌よく過ごしていました。
その姿を見て、加藤さんは「この子はなんて穏やかな子なんだろう」「この子の周りだけ時間がゆっくり流れているようだ」と感じていたそうです。
保健師や地域のクリニックにも相談しましたが、「成長がゆっくりなだけ」と言われていました。
気になりながらも、あえて詳しく検索することはしませんでした。調べたり、病気の可能性を思い描いたりすることで、それが現実になってしまうような怖さがあったからです。当時は上のお子さんも2歳で、日々の子育てに追われてもいました。
それでも、生後6か月を迎えても首がすわらず、母子手帳や周囲の情報、長女の成長と比べても明らかに遅いと感じた加藤さんは、自分の判断でクリニックを受診しました。すると、その場で大きな病院への紹介状が書かれ、すぐに詳しい検査を受けることになりました。
血液検査では、筋肉の状態を示す数値が非常に高いことが分かり、筋ジストロフィーの疑いを告げられました。その後、症状や性別などから福山型の可能性があるとして、筋ジストロフィーに詳しい東京女子医科大学を紹介されます。検査入院を経て、生後9か月頃に福山型先天性筋ジストロフィーと確定診断されました。
「6か月頃に筋ジストロフィーの疑いが分かり、9か月頃に確定診断を受けました。1歳になる前には、ある程度のことを把握していたという流れです」

筋ジストロフィーの疑いを告げられた後、加藤さんは、それまでとは反対にインターネットで情報を探し続けました。目的はただ一つ、「マコさんの病気を治すため」でした。
「民間療法や、今振り返ると怪しいと思うようなものまで、本当にさまざまな情報が出てきました。それでも当時は、この子を治したいという思いで、血眼になって探していました」
一方、障害者手帳や福祉サービスについては、すぐに利用できる状況ではありませんでした。
医師からリハビリを始めることを勧められ、加藤さん自身も筋ジストロフィーに詳しい施設などを探しましたが、年齢が幼く、利用を断られることもあったそうです。
「生まれたときは、病気や障害があるとは思っていませんでした。途中で突然そう言われても、何の情報も持っていません。市役所や保健師さんから情報をいただいても、一つひとつ自分で調べて連絡するだけの時間も、心の余裕もありませんでした」
情報はあっても、自分たちが今使えるものは何か、どこに相談すればよいのかが分からない。診断を受け止めきれないなかで、必要な情報を自力で選ぶこと自体が大きな負担になっていました。
※筋ジストロフィーについての情報がご覧いただけます。
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