昔ほど悲観しなくていい病気になってきた」
クリーゼ、休職、復職を経験した白野宏樹さんが語る重症筋無力症との歩み
白野宏樹さんの素敵なお話を前後編に分けて、お届けします。
【目次】
2.わずか約2週間で入院へ──「難病なんて一生無縁だと思っていた」
4.目を閉じられない、腕を上げ続けられない──症状がある中での暮らし
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現在、白野宏樹さんは会社員として総務の仕事をしながら、重症筋無力症(MG)の治療を続けています。
本人の言葉では、現在の状態は「ほぼ寛解状態と言っていいぐらい」。普段の生活では重症筋無力症の症状をほとんど感じることはなく、発症前とあまり変わらない毎日を過ごしているといいます。
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一方で、2022年に重症筋無力症を発症してから現在に至るまでには、さまざまな出来事がありました。
最初の症状は、「なんとなく目の焦点が合わない」という違和感でした。
そこからわずか約2週間の間に、眼瞼下垂だけでなく、腕が上がらない、首を支えられないといった症状が次々に現れ、入院。
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その後、一度は症状が改善して仕事に復帰したものの、胸腺の手術や再入院、さまざまな治療を経験しました。そして発症の翌年にはクリーゼを起こし、集中治療室で治療を受けています。
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仕事を休まざるを得ない期間もあり、病気について会社へどのように伝えるのか、復職後にどのように働くのかといった課題にも向き合ってきました。
そんな経験をした白野さんは、現在こう話します。
「昔ほど、そんなに悲観しなくていい病気になってきたのかなと思っています。」
診断を受けたばかりの頃には、治療法を自分で調べ、「勝手に怯えていた」という白野さん。
そこから、どのように病気と付き合い、仕事に戻り、患者会とも関わるようになったのでしょうか。
重症筋無力症を発症した当時から現在までの歩みについて、お話を伺いました。

白野さんが初めて体の異変を感じたのは、2022年2月でした。
当時は愛媛県で暮らし、店舗の店長として営業職に就いていました。
これまで大きく意識したことのなかった「目の見え方」に、突然違和感を覚えます。
「最初は複視だったんです。その時は『複視』っていう言葉も全然知らなくて。なんか目の焦点が合わないな、というのが最初でした。」
最初から「病気かもしれない」と考えていたわけではありません。
目の焦点が合わないことはあるものの、それ以外には目立った症状はなく、白野さん自身も「ちょっと体調が悪いのかな」という程度に考えていました。
ところが、最初に違和感を覚えた日から、少しずつ状況が変わっていきます。
1日の中で物が二重に見える時間が増え、さらに、まぶたが下がるようになりました。
「日に日にまぶたも下がるようになったので、これはなんかあるなと思って病院へ行きました。」
この段階では、会社にも病気については伝えていませんでした。
そもそも白野さん自身が、病気の可能性を強く考えていなかったからです。
勤務先には、
「ちょっと体調が悪いので、病院へ行きます」
と伝えた程度でした。
最初に受診した病院では、頭部のMRI検査を受けました。
目の異常は脳や神経の病気と関係することもあるため、まず頭部を調べることになったといいます。
しかし、MRIでは異常は見つかりませんでした。
それでも、「物を見る時に焦点が定まらない」「まぶたが下がる」という症状は続いています。
そのため、翌日、眼科を受診しました。
視力など一般的な目の検査を受けたものの、そこでも特に異常は見つかりません。
そんな中、診察した医師から、
「ちょっとアイスパックテストをやってみよう」
と言われました。
アイスパックテストでは、まぶたを冷やします。
白野さんの場合、まぶたを冷やすと、それまで下がっていたまぶたがはっきりと開きました。
白野さんは、その時のことを今でも印象深く覚えています。
「まぶたを冷やしたら、もう目がぱっちり開いたんですよ。だから『治りました』って言ったんです。」
本人にとっては、「症状が良くなった」という感覚でした。
しかし、医師の受け止め方は逆でした。
「先生からすると、『これで逆に、重症筋無力症の疑いが強まりました』ということだったみたいです。」
そこで医師から重症筋無力症の可能性を伝えられ、血液検査を受けることになりました。
さらに、
「翌週もう一回来てください。その時は脳神経内科へ行ってください」
と案内されました。
この頃、白野さんは自分の症状についてインターネットでも調べていました。
「物が二重に見える」「まぶたが下がる」といった言葉で検索すると、その中に「重症筋無力症」という病名が出てくることもありました。
しかし、当時はまだ、
「そんな、ちょっと目が調子悪いだけだろう」
と思っていたといいます。
「重症筋無力症っていうのは検索したらどこかで出てきたんですけど、まさか自分がそうだとは思っていませんでした。」
ところが、次に病院を受診するまでのわずか1週間で、その考えが大きく変わるほど症状が進んでいきました。

脳神経内科を受診する頃には、腕にも力が入りにくくなっていました。
「その1週間後に病院へ行く時には、もうだいぶ進行していて。腕も上がらなかったです。」
さらに現れたのが、首下がりの症状でした。
首を自分の力で支えることが難しくなり、前を向き続けることができません。
「前を向こうと思ったら、手で顔を持ち上げていないといけないぐらいでした。」
手で顎や顔を支えていなければ、頭が前へ落ちてしまう。
最初に目の違和感を覚えた時には想像していなかったほど、短期間で全身に症状が広がっていきました。
「最初の違和感から、2週間ぐらいでもう入院でした。」
脳神経内科を受診した時点では、前回採血した血液検査の結果はまだ出ていませんでした。
それでも、眼瞼下垂や首下がり、四肢の筋力低下などの症状がはっきりと現れていました。
そこで、さらに重症筋無力症を確認するための検査を受けました。
検査のために薬を使ったところ、それまで下がっていたまぶたが明らかに開きました。
「目も開いたので、『多分これだね』ということで、とりあえず入院と言われました。」
その日のうちに、入院することになります。
受診していた病院では脳神経内科の診療体制が限られていたため、治療を受けられる近隣の病院へ移ることになりました。
入院したその日から、免疫グロブリンによる治療も始まりました。
その後、血液検査の結果などもそろい、重症筋無力症と診断されました。
最初に目の違和感を覚えてから、わずか約2週間の出来事でした。
白野さん自身も、その進行の速さを振り返ります。
他の重症筋無力症の患者さんから、診断まで何か月もかかったという話を聞くこともあるそうです。
「いろんな人の話を聞くと、病院をいろいろ回ったという話も聞くので。それを考えると、僕の場合は一気に悪くなったから病気が分かったというのもあるかもしれません。」
そして、最初に眼科を受診した時に、医師が重症筋無力症の可能性に気づいてくれたことも大きかったと感じています。
「眼科の先生にすぐ指摘されたのは、非常に良かったなと思っています。」
一方で、「重症筋無力症」という病名を初めて医師から伝えられた時は、まだそれがどのような病気なのか分かっていませんでした。
「眼科の先生から、『多分、重症筋無力症だと思うので』みたいに、結構さらっと言われたんですよ。」
そのため、その場では、
「ああ、そんな名前の病気があるんだ」
という程度の受け止め方だったそうです。
しかし、帰ってから調べてみると、「指定難病」であることを知りました。
そこで初めて、重症筋無力症という病気の重みを実感します。
「『え、難病なん?』『難病って、治らんってこと?』と思って。」
そして、医師から病名を告げられた時の様子を思い出しました。
「『あの先生、結構さらっと言ってくれたな』って思いました(笑)。」
白野さんの中では、「難病の可能性がある」と告げられる場面には、もっと深刻なイメージがありました。
「もっと別室とかに呼ばれて、『実はあなたの症状から見ると、こういう病気かもしれません』みたいに言われるのかなと思っていました。」
まさか自分自身が難病患者になる。
それは、それまで一度も考えたことのなかった出来事でした。
「難病なんて、一生無縁だと勝手に思っていたので、ショックでした。」

※白野さんご提供:入院中のエクセルシート①

重症筋無力症と診断されてから、白野さんがまず知りたいと思ったのは、
「どのような治療があるのか」、そして「この病気になった人がどのような生活をしているのか」
ということでした。
「治療法と、この病気の人が今どういう生活をしているのかっていうのは、すごく気になりました。」
自分で重症筋無力症について調べてみると、さまざまな治療法が出てきました。
ステロイド、免疫グロブリン療法、血漿交換、手術、点滴による治療。
診断されたばかりの白野さんにとっては、聞いたことのない治療も少なくありませんでした。
また、重症筋無力症は症状の現れ方も人によって異なります。
目の症状が中心の人もいれば、全身に症状が現れる人もいる。
自分がこれからどのような経過をたどるのか分からないことも、不安につながっていました。
「最初は、軽いタイプだったらいいなと思っていました。」
しかし実際には、目の症状に加えて、腕や首などにも症状が現れていきました。
検査を進める中では、胸腺の手術についても話が出るようになりました。
「もし手術することになったら嫌だなとか、ステロイドって副作用あるのかなとか。血漿交換ってなんだろう、とか。」
インターネットで治療について調べるほど、まだ経験していない治療への不安が膨らむこともありました。
点滴治療について調べたときにも、その頻度や注意点を見て、
「うわ、怖いな」
と思ったといいます。
「もうそんな点滴は打ちたくない、と思っていたら、今は自分が点滴を受けていますからね。」
今ではそう振り返る白野さんですが、診断されたばかりの頃は、治療について調べることそのものが不安につながることもありました。
一方で、当時は主治医に治療について積極的に質問していたわけではありません。
「先生からは、あまり細かい説明を聞かなかったですね。自分で見て、勝手に怯えていた感じです。」
今振り返れば、分からないことを聞けば説明してもらえたと思う。
それでも当時は、質問することで、さらに怖い話を聞くことになるのではないかという気持ちもありました。
「相談すれば、『大丈夫だよ、こういう治療だから』とか言ってもらえたと思うんです。」
「でも、聞いたことによって、『いや、実はそうなんだよ。大変なんだよ、この病気』って言われるのも怖くて。」
最初の入院では、免疫グロブリンによる治療などを受けました。
その後、症状がある程度落ち着き、3月上旬に退院。実家のある兵庫県へ戻り、病院を移って治療を続けることになりました。
しかし、退院したことで治療が終わったわけではありませんでした。
その後、胸腺の手術を受け、いったん状態が落ち着いた時期もありましたが、再び症状が悪化。
夏頃には、再度入院することになりました。
眼瞼下垂や全身の筋力低下に加えて、話していると声が鼻へ抜ける(構音障害)ようになったり、水を飲んだときに鼻から出てしまったりする症状(嚥下障害)も経験しました。
「飲み込み自体はできていたんですけど、喉のところがうまくいかなくて、水が鼻から出てきてしまうことがありました。」
再入院後も治療は続きました。
ステロイドパルス療法などを受け、その後は病気に関わる抗体を減らす治療も始まりました。
一度は症状が良くなったものの、その状態がずっと続いたわけではありませんでした。
「一回良くなったんですけど、またなんかちょっとあまり効かなくなってきて。」
その後も経過を見ながら治療を続けていましたが、翌年3月、白野さんはクリーゼを経験します。
「一番きつかったのは、やっぱりクリーゼですね。」
クリーゼは、何の前触れもなく突然起きたわけではありませんでした。
白野さん自身も、少しずつ体調が悪くなっていることは感じていました。
それでも当時は、
「自分はクリーゼにはならないだろう」
と考えていたといいます。
「発病の時もそうなんですけど、クリーゼにはならないだろうって勝手に思っていたんですよね。」
そのため、自分の中に「ここまで悪くなったら危ない」という基準を十分に持てていませんでした。
「悪くなる下限がクリーゼっていう認識がなかったんです。」
白野さんは、当時をそう振り返ります。
「多分、今だったらもっと早く病院へ行っていたと思います。」
「その時は、本当にギリギリまで我慢してしまいました。」
そこには、「クリーゼにはなりたくない」という気持ちもあったといいます。
症状が悪化し、白野さんは集中治療室へ入りました。
集中治療室で過ごしたのは約1週間。
気管挿管も経験し、自分で食べたり飲んだりすることができない間は、鼻からチューブを入れて栄養を取っていました。
状態が改善し、気管挿管のチューブが抜けた後も、すぐに普通の食事ができるわけではありませんでした。
まず確認したのは、水をきちんと飲み込めるかどうかでした。
「スポイトで水を一滴だけ飲まされたんですよ。」
最初は口を湿らせる程度のわずかな水から始め、その後、少しずつ量を増やしていきました。
「ちゃんと気管のほうへ行かずに飲めているか、少しずつ確認していったのを覚えています。」
集中治療室では、握力を測ったことも強く印象に残っています。
自分では精いっぱい力を入れて握っているつもりでも、思うような力が出ませんでした。
「ああ、こんなに悪くなっているのかって。」
自分の感覚だけでは分からなかった筋力の低下を、握力計の数字によって実感しました。通常時の握力が40kg程度でも、当時5kgぐらいしかありませんでした。
白野さんにとって、重症筋無力症の治療は、一度の治療で終わるものではなく、その時々の状態に合わせながら続いていくものでした。
※重症筋無力症(MG)クリーゼとは
MGの症状が急激に悪化し、呼吸に必要な筋肉の力が弱くなることで、呼吸が難しくなる状態を「MGクリーゼ」といいます。
呼吸困難のほか、飲み込みにくさや、全身に力が入りにくくなるなどの症状がみられることがあります。
重症の場合には、人工呼吸器などによる呼吸管理が必要になることもあります。
急に呼吸が苦しくなるなどの症状がみられた場合は、速やかに医療機関を受診することが大切です。
【参考】
・難病情報センター「重症筋無力症(指定難病11)」
※難病情報センターの利用規約に基づき、個別ページへのリンクは掲載していません。

※白野さんご提供:入院中のエクセルシート②

重症筋無力症の症状が強かった時期、白野さんが特に困ったのは、「それまで普通にできていた動作が続けられなくなること」でした。
症状は日常生活のさまざまな場面に現れました。
「一番、初期の頃が困りましたね。慣れてきたら、『こんなもんかな』というのがあるんですけど。」
最初に現れた複視。
物が二重に見えると、普通に目を開けているだけでも周囲が見づらくなります。
「複視の時は、片目だとちゃんと見えるので、片目で物を見ていましたね。」
片目だけなら、二重に見えていたものが一つに見えます。
ただし、遠近感は取りづらくなります。
「疲れますけど、片目なら物は一つに見えるので。」
眼瞼下垂についても、単純に「まぶたが下がる」だけではありませんでした。
まぶたの動きが悪くなり、目をしっかり閉じることも難しくなりました。
その影響を強く感じたのが、お風呂でした。
「シャンプーが目に染みていました。」
目を完全に閉じられないため、水やシャンプーが入りやすくなります。
そのため、
「目に水とかシャンプーが来ないような体勢で」
髪を洗うようにしていました。
腕の筋力が低下していることも、お風呂では大きな問題でした。
腕を上げた状態を長く保つことができません。
髪をタオルで拭く。
ドライヤーを持つ。
普段であれば特に意識することもない動作が、大きな負担になりました。
「タオルで頭を拭く時も、腕をずっと上げていられないので、頭を下げて、そこにタオルをかぶせてやったりしていました。」
ドライヤーにも工夫をしました。
「ドライヤーを持っている手を、反対の手で支えたり。」
それでも疲れる時は、
「壁に寄りかかりながら」
使っていました。
食事でも症状を感じました。
顎の筋力が弱くなり、ものを噛み続けることが難しくなったのです。
白野さんが最初に異変に気づいたのは、ソーセージを食べていた時でした。
「ソーセージを食べた時に、皮が噛み切れなかったんですよ。」
これまで普通に食べられていたものが、突然噛み切れない。
「『ん?』と思ったのが最初でした。」
食事を続けているうちに、顎が疲れてしまうこともありました。
「ご飯もモグモグしていると疲れてくるので。」
そのため、硬いものや弾力のある食べ物は避けました。
食べる時には細かくしたり、柔らかくしたりするなど、自分なりに工夫していました。
入院中には、おかゆに近い柔らかなご飯を出してもらうこともありました。
また、全身の疲れやすさもありました。
「疲れやすいのはありましたけど、休憩しながらだったら、1日過ごせるぐらいではありました。」
動けないわけではない。
けれども、発症前と同じペースで動き続けることは難しい。
「休憩しながら」というのが、生活を続けるうえで一つのポイントになっていました。
復職したばかりの頃には、その疲れを強く感じたこともあります。
「復職した初日は、帰ってきたらもうすぐ寝ました。」
一方で、長く病気と付き合ううちに、自分の体調が悪くなる時のパターンも少しずつ分かるようになりました。
「いつも悪くなる段階っていうのが、自分の中であったんです。」
ある症状が出たあとに眼瞼下垂が出る。
握力も落ちていく。
良くなる時には、その逆の順番で改善していく。
そうした経験を重ねる中で、
「あ、これ悪くなってきているな」
「あ、これは良くなってきているな」
と、自分自身で変化を感じ取れるようになったといいます。
治療を始めた頃には、日々の状態も記録していました。
「最初の入院の時は、日記みたいな感じで残していました。」
何があったか。
どの薬を使っていたか。
薬が変わったのはいつか。
そうした内容を残していました。
記録方法はノートではなく、
「パソコンでExcelに入力」
していたそうです。
現在は体調が安定しているため、当時のような細かな記録は続けていません。
また、治療中には、重症筋無力症との関係があるかは分からないものの、味覚障害にも悩まされました。
「これが結構つらかったです。」
白野さんの場合、酸っぱい味やしょっぱい味は分かる一方で、甘味や苦味がほとんど分からない時期がありました。(解離性味覚障害)
「最初、本当に味が分からなくなっていました。」
例えば、チャーハンを見れば、これまでの経験から「こういう味がする」と頭では分かります。
ところが、実際に口へ入れると、想像していた味とまったく違いました。
「僕の場合は、何を食べても酸っぱかったんです。」
食べる楽しみが失われ、食事そのものが苦痛になっていきました。
「もう食べたくない、という感じでした。」
その時期には体重も大きく減りました。
味覚については専門の外来にも通い、少しずつ変化を確認しています。
「もしこれが重症筋無力症の症状の一つだとしたら、これが一番つらいです。」
重症筋無力症では、見た目からは分かりづらい症状も少なくありません。
白野さん自身も、こうした一つ一つの症状に合わせて、自分なりの方法を探しながら生活してきました。

※白野さんご提供の発病に関するエクセルシート
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