脊髄性筋萎縮症 鈴東 裕己さん インタビュー(前編)

「みんなと違う」と感じた子ども時代。

SMAとともに歩んだ学校生活と、バークレーで得た気づき

脊髄性筋萎縮症の当事者・鈴東裕己さんインタビュー【前編】


脊髄性筋萎縮症(SMA)の当事者である鈴東裕己さんにお話を伺いました。

鈴東さんは、生後1歳半ごろにSMAと診断されました。


保育園から小学校、中学校、高校、専門学校まで地域の学校に通い、

車椅子を利用しながら学校生活を送ってきました。


その後、学校法人でボランティアコーディネーターとして働き、

さらにアメリカ・バークレーへの留学も経験。


そこで感じた「障害のある人に自然に声をかける文化」や、

人とのつながりの大切さは、その後の鈴東さんの活動にもつながっていきます。


前編では、SMAと診断されたころのこと、学校生活、

そしてバークレー留学で得た経験についてお聞きしました。


インタビュー目次

1.   生後1歳半ごろにSMAと診断

2.車椅子で過ごした学校生活。周囲のサポートがあった

3.   「障害者の天国」と呼ばれるバークレーへ

4.  「困っている人に自然に声をかける」バークレーの文化🔏

5.   海外に行くまでに立ちはだかった「飛行機」という壁🔏

6.  自分の経験が「誰かのためになる」と気づいた🔏


生後1歳半ごろにSMAと診断


鈴東さんがSMAと診断されたのは、生後1歳半ごろ。


現在のような新生児スクリーニングなどがまだなかったため、

生まれる前や出生直後に分かったわけではありませんでした。


1歳前後になり、お母さまが「周りの子どもたちと少し違うのではないか」と

感じるようになったことが、診断につながるきっかけだったそうです。


「つかまり立ちができなかったり、歩くことができなかったり。

ハイハイもあまりできなかったと聞いています」


その後、大きな病院を受診し、SMAと診断されました。

では、鈴東さん自身が病気や周囲との違いを意識するようになったのは、いつごろだったのでしょうか。


「何歳という明確なものはないんですけど、保育園のころから車椅子に乗っていたので、

なんとなく『みんなとは少し違うな』ということは感じていたと思います。


でも、はっきりと違いを意識するようになったのは、小学校に入ってからだったのかなと思います」


車椅子で過ごした学校生活。周囲のサポートがあった


鈴東さんは、保育園から専門学校まで、地域の学校に通いました。


学校生活では、友達や先生、養護教育の先生など、

周囲からさまざまなサポートを受けていたといいます。


教科書を開いたり、ノートを取ったりすることは自分でできても、

ランドセルに荷物を入れることや、体育の授業などでは、

みんなと同じようにすることが難しい場面もありました。


「食事は当時、自分でできていました。

でも、着替えやトイレなどはサポートしていただいていました。小学校のころからずっとそうでした」


車椅子での移動にも工夫が必要でした。

小学校3年生までは手動の車椅子を使っており、

階段を上る際には先生4人ほどで車椅子ごと持ち上げてもらうことも。

スロープを設置してもらったり、友達に車椅子を押してもらったりしながら学校生活を送っていました。


その後、電動車椅子を利用できるようになり、ちょうど小学校にエレベーターが設置されたことで、

校内の移動もしやすくなりました。

中学校や高校でも、入学してからエレベーターが設置されるまでの間、先生が上級生に声をかけ、

階段の上り下りを手伝ってもらうこともあったそうです。


「学校側も、そういう部分では結構積極的に一緒に動いてくれました。

地域の学校に進学するので、『もうすぐ進学します』という情報がしっかり伝わっていたのかなと思います」


周囲の理解やサポートによって、「地域の学校で学ぶ」という選択肢を実現していきました。


「障害者の天国」と呼ばれるバークレーへ


専門学校卒業後、鈴東さんは学校法人で
ボランティアコーディネーターとして働き始めました。


学生とボランティアをつないだり、学校内でボランティア活動をつくったりする仕事です。


そんな中、約12年前、アメリカ・カリフォルニア州のバークレーを訪れることになります。

滞在期間は2週間ほど。

バークレーは、障害者運動の歴史から「障害者の天国」と呼ばれることがある場所です。


「もともと英語に興味があったというのもあります。

でも、実際にそういうところに行って、なぜ『障害者の天国』と言われているのか、

自分自身で体験してみたいと思ったのが一番大きな理由です」


それまでにも国内で一人旅をするなど、さまざまな場所へ出かけていた鈴東さん。

そのころ、お母さまが病気になったことも、海外へ行くことを決めるきっかけの一つになりました。


「親がいつどうなるか分からない中で、自立しなければいけないなと思ったんです。

いろいろなことが重なって、『行ってみよう』と思いました」..................................




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