「病気があるから」という理由で、夢をあきらめたくなかった
高校を卒業し、念願だった東京での生活を始めた武田さん。
新しい環境で仕事を始め、少しずつ社会人としての生活を築いていきました。
学生時代とは違い、自分で生活を管理し、自分で進路を選び、自分の力で働いていく。
武田さんにとって、社会人になることは、
自分の人生を自分自身で切り開いていく新たなスタートでもありました。
一方で、仕事を始めて生活リズムが大きく変わると、
身体にも少しずつ負担がかかるようになっていきます。
そして20歳の頃、ある日突然、移植した腎臓に異変が起こります。
それまで大きな自覚症状があったわけではありませんでした。
順調に続いていると思っていた日常が、再び大きく動き始めます。
移植した腎臓に起きた「拒絶反応」。
そこから武田さんは、約1年間にわたって入退院を繰り返し、
最終的には再び透析を始めることになります。
一度は「透析をしない生活」を経験したからこそ、再び透析と向き合うことには、
さまざまな思いがありました。
それでも武田さんは、治療だけを中心にするのではなく、そこからもう一度、
自分のやりたいことや、自分らしい働き方を探していきます。
後編では、20歳で経験した突然の拒絶反応から、再び透析を始めるまでの日々。
そして、その後「やっぱり好きなことをしたい」と、
再び飲食の仕事へ戻ることを決めた理由について伺いました。
1. 20歳、突然の拒絶反応――「すぐに入院してください」
2.1年間の入退院と、再び始まった透析
3. 「やっぱり好きなことをしたい」――飲食の仕事へ
4. 透析をしながら、ピザ職人として働く🔏
5. キックボクシングにも挑戦。「自分で限界を決めたくない」🔏
6. 「病気があっても、やりたいことをやっていい」――患者会活動へ🔏
7. 「病気があっても、やりたいことをやっていい」――武田さんから、患者さんとご家族へのメッセージ🔏

高校を卒業し、東京で働き始めた武田さん。
しかし、環境が大きく変わったことで、少しずつ体調にも変化が出てきました。
学生時代とは生活リズムが大きく変わり、仕事によって長時間働くことも増えました。
その後、武田さんが20歳の頃、移植した腎臓に突然、拒絶反応が起こります。
拒絶反応とは、移植された臓器に対して、身体の免疫反応が起こることです。
ただ、武田さんの場合、分かりやすい自覚症状があったわけではありませんでした。
「発熱したり、尿が出にくくなったりとか、そういう症状はなかったんです」
異変が分かったのは、定期的に受けていた血液検査でした。
検査の数値が、それまでとは大きく変化していたのです。
そしてある日、大学病院から突然電話がかかってきました。
「すぐに病院に来てください。そのまま入院してください」
自分では大きな異変を感じていなかっただけに、突然の入院には驚きました。
その後、点滴による治療など、拒絶反応に対する治療が始まりました。
一般的には、拒絶反応が起きた場合、薬剤による治療などをおこないながら、
移植した腎臓の状態を見ていきます。
武田さんの場合は、拒絶反応が長引き、治療も一度で終わるものではありませんでした。
「僕の場合は、ちょっと特殊な形だったみたいで。拒絶反応が起こってから、1年くらいは入退院を繰り返しました」
それまで、移植によって広がっていった日常。
仕事をして、生活をして、自分の好きなことにも挑戦できる。
そんな生活が、突然大きく変わることになりました。
拒絶反応が起こった後、武田さんは治療のために入退院を繰り返す生活になりました。
それまで続けていた仕事も、当然ながら続けることが難しくなっていきます。
「入退院を繰り返すので、働くこともできなくなってしまって」
当時、一人暮らしをしていた武田さんでしたが、
医師からも「今は何が起こるか分からない」と言われるような状況でした。

そこで、長野に住んでいたご家族と一緒に暮らすことになります。
治療を続けながら、生活そのものも大きく変化していきました。
そして、拒絶反応によって腎臓の機能が少しずつ低下していきます。
すぐに透析を再開したわけではありません。
血液検査の数値や尿の状態、体に水分がたまっていないかなどを確認しながら、
医師と相談して再び透析を始めるタイミングを決めていきました。
そして22歳頃、再び透析を始めることになりました。
「だんだん尿が出なくなっていって、水分が体にたまっていく。
そういう状態を見ながら、もう一回透析を導入しようか、ということになりました」
透析を再開してからも、武田さんの生活はさまざまな場所を行き来することになります。
富山、東京、長野、埼玉、そして名古屋。
仕事や家族の事情、治療環境などによって、住む場所も変わっていきました。
さらに武田さんの場合、拒絶反応の原因となった移植腎が体の中で
問題を起こしていたため、医師と相談したうえで、移植した腎臓を摘出する手術も受けました。
一度は透析から離れることができたものの、再び透析生活へ。
それは、武田さんにとって大きな転機となりました。
それでも、治療だけを中心に生活するのではなく、
「これから自分はどう生きたいのか」を考えるようになっていきます。

透析を再開した後、武田さんはさまざまな仕事を経験しました。
飲食業だけではなく、介護の仕事をしたこともあります。
介護の仕事では、勤務時間が明確に決められていて、残業もほとんどありませんでした。
「8時間働いたら、ちゃんと帰れるような仕事だったので、
体のことを考えると、そういう働き方のほうがいいのかなとは思いました」
一方で、武田さんの中には、ずっと好きだったものがあります。
それが、飲食の仕事でした。
もちろん、飲食業は長時間の立ち仕事になることも多く、
透析を続けながら働くには決して楽な仕事ではありません。
それでも、
「やっぱり好きなことをしたい」
という気持ちがありました。
「介護の仕事にもやりがいはありました。
でも、やっぱり飲食が好きだったので、もう一度、飲食に戻ろうと思いました」
働くことは、人生の中でも多くの時間を占めるもの。
だからこそ、自分が納得できない仕事をただ続けるのではなく、好きなことを仕事にしたい。
武田さんは、もう一度、飲食の世界に戻ることを選びました。
そして現在働いているお店との出会いが、武田さんの働き方を大きく支えています。
「今のお店は、オーナーもスタッフも病気のことを理解してくれているんです。すごく働きやすいです」
病気があることを隠すのではなく、自分の状態を理解してもらったうえで働く。
それが、武田さんにとって大きな安心につながっています。
「飲食に戻りたいというより、今のお店に戻りたくて戻ってきた、という感じですね」......................................