「できない」と言われたことを、ひっくり返す。
銀メダリスト・上原大祐さんが、挑戦を続ける理由
「自分が課題だな、嫌だなと思ったことを、できるだけ解決して死ぬ。それが私の人生の目標です」
そう話してくださったのは、パラアイスホッケー選手として
バンクーバー2010パラリンピックで銀メダルを獲得し、
現在はNPO法人D-SHiPS32(ディーシップスミニ)の理事長を務める上原大祐さん。
現在の上原さんの肩書きは、一つではありません。
NPO法人や一般社団法人の運営、企業との商品開発、行政へのアドバイス、
学校での講演や授業、パラスポーツの大会づくり、ユニバーサルツーリズム、企業研修など、
その活動は多岐にわたります。
「名刺は5枚くらいですけど、活動は10個くらいありますね(笑)」
そんなふうに笑う上原さんですが、その活動の根っこにあるものは、実はとてもシンプルです。
「挑戦すること」と「社会課題を解決すること」。
今回は、パラアイスホッケーとの出会いから、幼少期のお母さまとの思い出、現在の活動、
そして病気や障がいのある方とそのご家族へのメッセージまで、じっくりお話を伺いました。
1. 「自分が嫌だと思ったことを、次の世代に残したくない」
2. 原点にあった、お母さまの「ちょっと待ってね」
3. お母さまを変えた「仲間との出会い」
4. 「できた」を、たくさん届けたい🔏
5. 「経験値」は、経験するから増えていく🔏
6. パラアイスホッケーとの出会い。「これだ」と思った瞬間🔏
7. 「ごめんね」から「誇れる我が子」へ🔏
8. 「イベント」で終わらせず、「日常」にする🔏

上原さんがNPO法人を立ち上げる大きなきっかけとなったのは、
2012年のアメリカへのホッケー留学でした。
もともとは、自分自身の競技力を高めることが、留学の大きな目的でした。
より高いレベルの環境でアイスホッケーを学び、選手として成長したい。
そんな思いを胸に、アメリカへと渡りました。
しかし、現地で過ごすなかで、もう一つ、強く関心を持つようになったことがありました。
それは、障がいのある子どもたちが、どのような環境でスポーツを楽しんでいるのかということです。
上原さん自身、幼い頃から障がいとともに生活し、スポーツを続けてきたからこそ、
「障がいのある子どもたちにとって、スポーツとはどのような存在なのだろう」と、
自然と目が向くようになったのかもしれません。
そして、実際に現地で目にした光景は、上原さんに大きな衝撃を与えました。
そこには、まだ小さな子どもたちが、楽しそうにパラアイスホッケーをしている姿がありました。
子どもたちは、障がいがあることを理由に特別な存在として扱われているというよりも、
当たり前のようにスポーツの場に参加し、仲間と一緒に楽しんでいました。
その姿を目にした上原さんは、日本との違いについて考えるようになります。
「なぜアメリカでは、こんなに小さな子どもたちがスポーツを楽しめているのだろう。
なぜ日本では、同じような光景が少ないのだろう」
そんな疑問を抱えながら帰国した上原さんに、ある親御さんから、一つの言葉が届けられました。
「本当はスポーツをさせてあげたい。
でも、普通の生活をさせてあげることで精いっぱいで、スポーツまでさせてあげられないんです」
その言葉を聞いた瞬間、アメリカで見た光景と、日本で暮らす子どもたちの現実が、上原さんの中でつながりました。
「やっぱりそうなのか。日本、変えよう」
そこには、単に「スポーツをする場所を増やしたい」という思いだけではありませんでした。
障がいのある子どもたちやその家族が、何かを諦めることなく、
「やってみたい」と思ったことに挑戦できる環境をつくりたい。
スポーツをしたいと思ったときに、最初から「障がいがあるから難しい」と諦めなくてもいい社会にしたい。
そんな思いが、少しずつ形になっていきました。
そして、その原動力となっているのが、上原さん自身のこれまでの経験です。
これまでの人生の中で、周囲の環境や社会の仕組みに対して、
「どうして自分はこうなんだろう」「なぜ、こんなことを我慢しなければならないのだろう」と
感じた経験が何度もあったといいます。
「5歳のときにも、7歳のときにも、20歳のときにも、『嫌だな』と思ったことがありました。
自分が嫌だと思ったことを、次の世代に残すことほど無駄なことはないと思っています」
この言葉には、上原さんがこれまで歩んできた人生と、これからの社会に対する強い思いが込められています。
自分が経験した「嫌だったこと」を、ただ過去の出来事として終わらせるのではなく、
「なぜ、嫌だったのか」「どうすれば、同じ思いをする人を減らせるのか」と考える。
そして、自分自身が感じた不便や違和感を、
次の世代の子どもたちが感じなくても済むように、社会の側を変えていく。
それは、決して簡単なことではありません。
一人の力だけで、社会の仕組みを大きく変えることも難しいでしょう。
それでも上原さんは、自分自身の経験を出発点に、少しずつ周囲を巻き込みながら、活動を続けてきました。
上原さんの活動は、単に「障がいのある人を支援する」というところにとどまりません。
「障がいがあるからできない」のではなく、
「できない理由が、社会や環境の側にあるのではないか」と問いかけること。
そして、その環境を変えることで、「できること」や「選べること」を増やしていくこと。
それが、上原さんが大切にしていることなのかもしれません。
アメリカで見た、楽しそうにパラアイスホッケーをする小さな子どもたち。
帰国後に聞いた、スポーツをさせてあげたいと思いながらも、
日々の生活で精いっぱいだった親御さんの言葉。
そして、自分自身がこれまで感じてきた「嫌だな」という経験。
一つひとつの出来事が重なり、現在の活動へとつながっています。
「自分が嫌だと思ったことを、次の世代に残したくない」
その言葉は、過去を振り返るためだけの言葉ではありません。
これから先、同じような思いをする子どもたちを少しでも減らすために、今の社会に何ができるのか。
そして、誰もが「やってみたい」と思ったことを、
最初から諦めなくてもいい社会をどうつくっていくのか。
上原さんの活動には、自身の経験を次の世代のための力へと変えていこうとする、
そんな強い思いが込められています。

上原さんのお話を伺っていると、現在の活動や価値観の原点には、
幼い頃からのさまざまな経験、
そして何より、お母さまの存在があったことが分かります。
上原さんが大切にしている「まずやってみる」という姿勢。
「できない」と言われたときに、そのまま諦めるのではなく、
「どうしたらできるのだろう?」と方法を探していく姿勢。
その原点をたどっていくと、幼い頃の一つの出来事に行き着きます。
それは、自転車との出会いです。
幼い頃、友達が自転車に乗って楽しそうに遊びに行く姿を見て、
上原さんも「自分も自転車に乗ってみたい」と思ったそうです。
友達にとっては、ごく当たり前の遊びの一つだった自転車。
しかし、足でペダルを漕ぐことが難しい上原さんにとっては、
「乗ってみたい」と思っても、すぐにできるものではありませんでした。
周囲からすれば、
「自転車は足で漕ぐものだから、乗るのは難しいよ」
そう言ってしまうことも、決して不思議ではありません。
けれども、上原さんのお母さまは、そこで「難しい」と決めつけることはしませんでした。
上原さんが「自転車に乗りたい」と言うと、
「ちょっと待ってね」と答えたそうです。
そして、お母さまが始めたのは、「できる方法」を探すことでした。
全国の自転車屋さんに電話をかけ、上原さんでも乗ることのできる自転車がないか、
一軒一軒探していったといいます。
どこかに「できる方法」があるかもしれない。
今は見つからなくても、探せば何か方法があるかもしれない。
そんな思いで、全国の自転車屋さんに電話をかけ続けたそうです。
そして、ある日。
お母さまが上原さんのもとに、自転車を持ってきました。
「大ちゃん、自転車だよ」
その瞬間、上原さんにとって「自転車に乗りたい」という願いは、単なる夢ではなく、
実際に挑戦できるものになりました。
「乗れないかもしれないから、やめておこう」ではなく、
「どうしたら乗れるだろう?」と考えてくれたお母さま。
この違いは、上原さんの人生にとって、とても大きな意味を持つものだったのではないでしょうか。
お母さまが教えてくれたのは、単に「自転車に乗る方法」だけではありません。
「やりたい」と思ったことがあるなら、まず方法を探してみる。
今のやり方では難しくても、別の方法ならできるかもしれない。
誰かに「無理だ」と言われたとしても、それが本当に「できない」ということなのか、一度考えてみる。
そして、それは現在の上原さんの活動にも、深くつながっています。
上原さんは、ご自身のことを振り返りながら、こう話します。
「基本的に、何でも『やってみたい』という感じでした。
母親も料理をしたいという自分に対し、ちょっとやけどしたら、
それで分かるからいいや、というタイプです」
この言葉からも、上原さんの「まずやってみる」という姿勢が伝わってきます。
現在、上原さんが障がいのある子どもたちのスポーツ環境や社会の仕組みを変えようとしている姿の背景には、
こうした幼少期からの経験があるのかもしれません。
アメリカで小さな子どもたちが楽しそうにパラアイスホッケーをしている姿を見たときにも、
上原さんは「日本ではなぜできないのだろう」と考えました。
誰かの「やってみたい」を聞いたときに、最初から可能性を閉じない。
「できる・できない」を判断する前に、「どうしたらできるだろう?」と考える。
そして、答えがすぐに見つからなくても、まず探してみる。
幼い上原さんにとって、お母さまの「ちょっと待ってね」は、
そんな生き方を教えてくれる言葉だったのではないでしょうか。
上原さんのお話を伺っていると、現在の上原さんの「まずやってみる」という姿勢だけでなく、
その背景にある「子どもの可能性を最初から決めつけない」という考え方にも、
お母さまの存在が大きく影響していることが分かります。
ただ、お母さまも、最初から前向きに子育てをしていたわけではありませんでした。
上原さんが生まれた当時、お母さまは、突然始まった子育てと、
障がいのある子どもを育てていくことへの不安を抱えていました。
周りの子どもたちと同じように育っていけるのだろうか。
これからどんな人生になるのだろう。
自分はこの子に何をしてあげられるのだろう。
分からないことばかりのなかで、さまざまな思いが押し寄せてきたといいます。
必要な情報を得ることも、同じような経験をしている人と出会うことも、今ほど簡単ではありませんでした。
「この先、どうすればいいのだろう」
そんな不安を抱えながら、手探りで毎日を過ごしていたのだと思います。
そんなとき、医師から一つの言葉をかけられました。
「同じような障がいのある子どもを持つ人たちの集まりがあるから、行ってみたら」
その言葉をきっかけに、お母さまは同じような経験を持つ家族が集まる場へ参加することになりました。
そこで初めて出会ったのが、「自分と同じような立場にいる人たち」でした。
同じような悩みを抱えている人。
子どものことで不安を感じている人。
子育ての中で、うまくいかないことや迷うことを経験している人。
そして、それぞれの子どもと向き合いながら、日々を生きている人たち。
そこで、お母さまは初めて、
「仲間がいるんだ」と感じたそうです。
お母さまにとって、その「仲間との出会い」は、まさに大きな転機になったのだと思います。
そして、気持ちが少しずつ変化していくなかで、子育てに対する考え方も変わっていきました。
「どうして私たちだけなんだ」と落ち込むことから、
「この子がどうしたら楽しく暮らせるだろう」
と考えるようになったのです。
障がいがあることそのものを変えることはできなくても、
この子が楽しく過ごせる時間を増やすことはできるかもしれない。
この子が「やってみたい」と思うことがあるなら、できる方法を一緒に探してみよう。
そう考えるようになったことで、お母さまは上原さんに、さまざまな経験をさせるようになったそうです。
いろいろな場所へ連れて行く。
いろいろなものを見せる。
実際に触れさせる。
「障がいがあるから、これはできない」と先に決めるのではなく、まずは経験してみる。
そのなかで、上原さん自身が何に興味を持つのか、何を楽しいと思うのかを見つけていく。
そうした経験の積み重ねが、現在の上原さんの好奇心や行動力につながっているのかもしれません。
そして、何より印象的なのは、お母さまが「障がいのある子どもを育てる」という視点だけではなく、
「一人の子どもを育てる」という視点を大切にしていたことです。
できないことに目を向けるのではなく、
「この子は何が好きなんだろう」
「何をしたら笑ってくれるんだろう」
「どんな経験をしたら、この子は楽しいと思えるんだろう」
そんなことを考える。
その積み重ねが、上原さん自身の「やってみたい」という気持ちを育てていったのではないでしょうか。
「障がいがあるから、何かをしてあげなければいけない」という発想ではなく、
「この子が笑っていることが、一番うれしい」
というところに、お母さまの気持ちがたどり着いた。
だからこそ、上原さんが「やってみたい」と言ったときには、その可能性を探してくれた。
自転車に乗りたいと言えば、全国の自転車屋さんに電話をかけてくれた。
何かに興味を持てば、実際に見せて、触れさせて、経験させてくれた。
「できるか、できないか」を大人が先に決めてしまうのではなく、
まず本人の「やってみたい」という気持ちを大切にする。
その環境があったからこそ、上原さんはさまざまなことに挑戦することができたのかもしれません。..................................