
【第1回】発症から16年、IgA腎症とともに歩んでいる日々
55年間にわたり自動車修理職人として走り続けてきた大宮 正さん(73歳)。
16年前にIgA腎症の確定診断を受けてからも、
生活と家族を守るため身体に無理を重ねながら仕事を続けてきました。
第1章では、これまでの歩みと徹底した食事制限の苦労を伺います。
〇18歳から55年間走り続けた職人人生と現在の暮らし
〇16年前の確定診断と、当事者としての葛藤 🔒
--- ここは「かんしん広場」会員登録(無料)いただき、ご覧ください ---
〇16年間の大学病院での治療と、徹底した食事管理の苦労 🔒
年齢は73歳で、現在は妻と長男の3人で一軒家に暮らしています。
18歳から今年まで約55年間、車の修理職人などを中心に一度も途切れることなくずっと働いてきました。
約2ヶ月前に退職して人生で初めて無職になったのですが、じっとしていられず、今朝もハローワークに行って再就職に向けて動き出してきたところです。
毎日スマホで「IgA腎症」のことばかり調べている中で、たまたま「かんしん広場」を見つけたのがきっかけです。
治らない病気を抱える中で、「同じ病気の人はどんな思いで毎日を過ごしているのだろう」「本音で語り合える繋がりが欲しい」と思い応募しました。
長年職人をやっていたので、自宅や次男の家のガス・水道・電気のメンテナンスや配管修理を自分でやるのが趣味みたいなものです。
また、心が一番休まるのは「日記を書くこと」ですね。
出社前に自分との対話として日記を書くルーティンを何十年も続けています。
あとは、朝起きて最上川のせせらぎや風など、ずっと変わらない自然に触れながら散歩することも大きな心の支えになっています。
2010年9月、16年前のことです。
高血圧で通院していた内科で尿検査をした際、強い蛋白尿が出ていると言われました。
内科の薬では改善しなかったため、大学病院の専門医を紹介されて腎生検を受け、IgA腎症と確定診断されました。
思い返せば社会人になってからの健康診断でずっと蛋白尿は指摘されていたのですが、当時は知識もなく放置してしまっていました。
正直かなりショックでした。......
次回は、病状の進行に伴い突きつけられた「透析」または「ご家族からの生体腎移植」という大きな選択についてお話を伺います。
葛藤の中で迷いなく手を差し伸べてくれた奥様への感謝や、退職を経て「もう一度働きたい」と前を向く力強い姿勢に迫ります。お楽しみに!
※会員登録をいただくと、堀さんの
インタビュー記事の続きを読むことができます。
プロフィール設定の”関心のあるもの”より「インタビュー」をご選択ください。
※IgA腎症についての情報がご覧いただけます。
患者さんご家族の体験談や医師のインタビュー、患者会の紹介を掲載しています。