神経免疫疾患の診療と研究に取り組む磯部紀子先生。【前編】では、医師を志したきっかけや、神経免疫疾患を専門にした背景、忘れられない患者さんとの出会い、患者さんと向き合う姿勢について伺いました。先生の言葉から、その人柄と医師として大切にしている思いを紐解きます。

磯部先生が医師を志すきっかけとなったのは、お父さまからの勧めでした。
「私は2人姉妹の長女で、父は会社員、母は専業主婦という家庭で育ちました。当時、父は、女性が仕事を続けていくのは大変かもしれないから、専門職や資格を持つ仕事が良いのではないかと考えていたようです」
お父さまから勧められたいくつかの仕事の中に、医師がありました。
「父から、どの仕事も尊いけれど、医師は患者さんが元気になったときに、直接感謝していただけることもある仕事だ、と聞きました。私はもともと人が好きなので、人と接して、その方が元気になることに関われたらいいなと思い、医師を選びました」
「人が好き」という思いを原点に、患者さんと直接関わり、その方が元気になることに携わりたいと考えて医師の道を選んだ磯部先生。現在の診療にもつながる、患者さんとの向き合い方の原点がここにあります。
医師の中にも、さまざまな診療科や専門分野があります。磯部先生が神経免疫疾患を専門とするようになった背景には、若手医師として多くの患者さんを担当した経験がありました。
「当時の教授だった吉良潤一先生が、神経免疫疾患研究の第一人者でした。 そのため、若い頃に入院患者さんの主治医をしていたとき、一般的な病院よりも神経免疫疾患の患者さんを担当する機会が多かったのだと思います」
神経免疫疾患の患者さんを担当し、その治療に関わる中で、この分野を専門にしようと考えるようになったといいます。
「何名か、とても思い出深い患者さんがおられました。そういった方々の治療に関わり、困っておられる状況を見ていく中で、『自分はこの分野なのかな』と思うようになりました」
また、研究への関心も専門分野を選ぶ理由の一つでした。
「神経免疫疾患について、さまざまな研究が精力的に行われていました。私自身、研究をやってみたいと思っていたので、この分野であれば、いろいろな研究に取り組み、成果を発信する力も身につけられるのではないかと思いました」
患者さんとの出会いと、研究への関心。その両方が重なったことが、磯部先生を神経免疫疾患の診療・研究へと導いたようです。目の前の患者さんの困りごとに向き合うことと、病気そのものを深く知ろうとする姿勢が、現在の活動にもつながっています。
磯部先生が若手医師だった頃、特に印象に残っているのが、多発性硬化症を発症した東欧出身の女性です。その方は若く、一人で母国を離れて日本に来ていたときに発症しました。
「初発で、週末に緊急入院された方でした。若くして一人で国を離れ、日本で病気になり、毎日のように泣いておられました。年齢が近かったこともあり、いろいろと話をしたり、一緒に散歩をしたりしました」
当時、日本では多発性硬化症に使用できる薬が限られており、その方もインターフェロン(※)による治療を始めました。しかし、帰国後の治療継続には、大きな問題がありました。
※インターフェロン:免疫の働きを調整し、多発性硬化症の再発を抑えるために使われる薬
「日本では指定難病の制度によって治療費の助成がありますが、ウクライナへ帰ると、薬代を個人で支払わなければなりません。現実的には治療を続けるのが難しい金額だったと思います」
治療が途切れてしまうかもしれない。そう考えた磯部先生は、ウクライナ大使館に電話をかけました。
「なぜか、そのときは大使館に電話しなければと思いました。『帰国すると治療を続けられなくなるかもしれない患者さんがいます』とお伝えしたことを覚えています」
一人の患者さんの治療を守るために、医療機関の中だけでなく大使館にも働きかけた磯部先生。その行動からは、目の前の患者さんが置かれている状況まで含めて支えようとする姿勢が伝わってきます。
もう一つ、磯部先生の専門分野に大きな影響を与えたのが、視神経脊髄炎の患者さんとの出会いです。
「当時は、視神経脊髄炎に関係するアクアポリン4抗体が分かる少し前でした。多発性硬化症と診断されていた方の中にも、ステロイドを継続して飲んだ方がよいタイプの方がいると考えられていました」
一見、同じように見える病気が、研究の進歩によって別の疾患として分かれていく。その変化を、患者さんの診療を通して目の当たりにしました。
「同じように見えて、実は違う病気だった。それがどんどん枝分かれしていく時代に患者さんを診ることができたのは、私にとって大きな経験でした」
患者さんとの出会いが、診療だけでなく研究への関心にもつながっていったことが分かります。病気の理解が進むことで、診断や治療も変わっていく。その変化を患者さんの目の前で経験したことが、磯部先生の専門性を形づくる大きな経験になったのです。
磯部先生が患者さんと向き合う姿勢には、一緒に暮らしていたお祖母さまの存在が影響しています。
「祖母はだんだん年を重ねて、いろいろと調子が悪くなっていきました。でも病院に行っても、『特に問題はありません』と言われて帰ってくることがあったんです」
磯部先生が医師を志した頃、脳神経内科は、病気を診断できても有効な治療法が少ない分野と見られることがありました。そのため、「診断をつけて終わる診療科ではないか」と言われることもあったといいます。
しかし磯部先生は、すぐに治療へつながらない場合でも、症状の原因を明らかにし、患者さんに説明することには意味があると考えています。
「名前がつくだけでも、救われると感じられるところはあるのではないかと思います。自分の不調がどこから来ているのか、患者さんも知りたいと思うんです。不調が、こういうことで起こっていると説明できることにも意味があります」
病気を治療するだけではなく、「何が起きているのかを知りたい」という患者さんの思いにも応えたい。磯部先生の言葉からは、診断や説明そのものにも患者さんを支える力があると考えていることが伝わります。
また、お祖母さまは、磯部先生が医学生だった頃から、患者さんとの接し方について繰り返し言葉をかけていました。
「『患者さんの目をちゃんと見て話す医師になってね』と、よく言われました。その教えは、今もありがたく感じており、医師として大事にしているつもりです」
幼い頃から身近な人の言葉として受け取った「患者さんの目を見て話す」という教え。その言葉が、今も磯部先生の診療の中に生き続けています。