血友病 川浪勇太さん インタビュー

【前編】音楽との出会いが開いた扉 

血友病を抱える映像クリエイター川浪勇太さん 

長崎県松浦市を拠点に活動する映像クリエイターの川浪勇太さん。カメラマンとして仕事をする一方、地域づくりにも精力的に取り組んでいます。 


現在の姿からは想像しにくいかもしれませんが、川浪さんは血友病があり、幼い頃から毎月のように出血を繰り返し、入院や松葉杖での生活が日常だったそうです。「なぜ自分だけなのか」と暗く落ち込み、自ら命を絶つことまで考えた時期もあったといいます。 


初対面の私たちにも冗談を交えながら笑顔で話す現在の姿からは、すぐには想像できない過去です。少年期から現在の活躍に至るまでには、音楽との出会い、新しい治療薬、人工関節手術など、いくつもの印象的な転機がありました。 



映像の仕事や地域づくりの活動も、そうした転機を経て広がっていきました。壁にぶつかるたびに人に支えられてきたからこそ、「感謝の気持ちを忘れないこと」を大切にしていると語ります。現在は、自分が受け取ってきた経験や機会を、地元の子どもたちへつなげようとしています。 


前編では、病気によって世界が狭くなっていた少年期から、現在の活動に至るまでの歩みを紹介します。 

インタビュー目次

映像クリエイター川浪さんの素敵なお話を前後編に分けて、お届けします。


【目次】

1. 毎月のように起きた出血 

2. 音楽との出会いで訪れた転機 

3. 現在の映像の仕事を始めたきっかけ 🔏 

4. 地元イベントに尽力するも、仲間との間に生まれた溝 🔏 


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アコースティックギター‗イメージ


1. 毎月のように起きた出血 

Amiさん 海 イメージ

現在、長崎県松浦市を中心に、カメラマンとして働きながら地域づくりに取り組んでいる川浪さん。現在の活動だけを見ると、幼い頃から重い血友病とともに生きてきたことを想像するのは難しいかもしれません。 


かつては毎月のようにどこかで出血し、そのたびに関節が腫れ、身体を動かせなくなったといいます。家の中にはいつでも使えるように松葉杖を置き、ひどいときには、ベッドとトイレの間を移動するだけで精いっぱいだったそうです。 


見た目には周囲と変わらなくても、出血が起きると生活は突然止まります。昨日までできていたことが、今日はできない。その落差は、身体の痛みだけでなく、心にも影を落としたといいます。 


血友病による出血は、傷口から血が出るだけではありません。関節や筋肉の内側で起こる出血は外からは分かりにくく、痛みや腫れが治まるまで身体を休める必要があります。同じ関節で何度も出血を繰り返すと、少しずつ動かしにくくなります。川浪さんの肘や膝にも、幼い頃から繰り返してきた出血の影響が残っています。 


学校生活も、周囲の子どもたちと同じようにはいかなかったといいます。体育の時間は見学し、友だちが身体を動かす姿を眺めることしかできませんでした。入院を繰り返し、友だちもなかなかできませんでした。「どうして自分だけなのか」という思いから、自殺を考えるほど追い詰められた時期もあったそうです。 


2. 音楽との出会いで訪れた転機 

そんな少年期の川浪さんに、初めて「自分からやりたい」と思えるものを与えてくれたのが、音楽でした。 


きっかけは、テレビで見たバンドの姿でした。画面の向こうの演奏を「格好いい」と感じ、親戚のお兄さんがギターを弾く姿にも憧れ、友だちとバンドを始めたそうです。川浪さんが選んだ楽器はベースでした。練習スタジオのない町で体育館を借り、仲間と音を合わせました。 


「運動ができなかったから、誰かと一緒に汗をかくことがなかったんです。バンドで初めて、友だちと同じ汗をかきました。それが気持ちよかったんだと思います」 


数キロあるベースを肩に掛けて練習すると、肘や膝に出血したといいます。肘は曲がったままになり、膝にも痛みが出ました。それでも、初めて好きなものに夢中になる感覚を知り、やめることはできなかったと話します。 


音楽は、それまで病気によって狭められていた川浪さんの世界を押し広げ、人とのつながりを生みました。初めて自分を表現する手段でもあり、「できないこと」ではなく「やりたいこと」に目を向ける入り口になったのだと思います。 


音楽との出会いについて、特に印象に残ったエピソードがあります。 


バンドをしていた当時、夜に仲間と集まっているだけで、周囲から「悪い若者」と見られることもあったそうです。 


ある日、警察官に声をかけられ、交番に呼ばれました。叱られるのかと思っていたところ、バンドをしていると話すと、「音楽が好きなやつに悪いやつはいない」と言って応援してくれたといいます。 


後日、その警察官に呼ばれて向かった先には、木製のステージが用意されていました。警察官が自費で大工に依頼し、川浪さんたちがライブで使えるようにつくってくれたものでした。川浪さんたちは驚きながら、皆でステージに色を塗ったといいます。そのステージは年月を経た今も、地元の夏祭りで使われています。 


地元の大人から機会を与えてもらったこの経験が、川浪さんが今、子どもたちのために場所をつくろうとする原点の一つになっていると感じました。 


3. 🔏現在の映像の仕事を始めたきっかけ 

中学校卒業後は高校へ進学せず、父親が働く親族の建設会社「川浪産業」に入りました。幼い頃から、泥やほこりにまみれて働く父親の背中を格好いいと思っており、進学する理由を見いだせなかったといいます。 


会社は自宅のすぐそばにあったため・・・ 



4. 🔏地元イベントに尽力するも、仲間との間に生まれた溝


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血友病広場のイメージ