【前編】重症筋無力症とともに働く 萩中健太郎さん インタビュー

重症筋無力症とともに働く。「少しずつアジャストしながら」暮らす萩中健太郎さん

インタビュー目次

萩中健太郎さんの素敵なお話を前後編に分けて、お届けします。


【目次】

1.「今日はすごく疲れたな」突然始まった症状

2.「心の問題では」と言われる中、診断につながった医師との出会い

3.🔏病名がついて初めて感じた不安と、家族・仕事のこと

4.家族を支えるために「普通に働ける状態」を目指した治療

5.主治医との出会いを経て、再び社会へ



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画像は、萩中健太郎さんの許可を頂いて掲載しております。

萩中健太郎さんのイメージ

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約3年前、突然の強い倦怠感や息切れに襲われた萩中健太郎さん。


複数の医療機関を受診しても原因が分からず、「精神的なものではないか」と言われた時期もありました。


そんな中、一人の医師との出会いをきっかけに、重症筋無力症(MG)と診断されます。

前編では、発症から診断、治療、そして再び働けるようになるまでを振り返ります。


1.「今日はすごく疲れたな」突然始まった症状

疲れた男性の イメージ

萩中さんが体の異変を感じたのは、今から約3年前のことでした。

それまで、免疫疾患やアレルギーなどを特に意識することもなく、本人の感覚では「何の前触れもなく突然」始まったといいます。


最初に感じたのは、強い疲れでした。

「なんかすごく疲れたな、今日、というのが最初でした。『こんなに疲れるほど今日運動したっけ?』『そんなに働いたっけ?』というくらいだったんです」


当初は、自分の体力が落ちただけだと思っていました。

しかし、疲れ方はそれまでとは明らかに違っていました。



息切れが続き、全身に強い倦怠感がある。特に両腕を持ち上げることがつらく、昼から夕方にかけて症状が強くなっていきました。

夕方になると、「今日は早く寝よう」と早めに布団へ入ることもありました。

けれど、朝になっても体力は戻りません。


「普通だったら、朝起きたら体力が戻っていると思うんですけど、より疲れているんですよね」


症状が出始めたのは夏でした。

風邪なのか、熱があるのか。それとも暑さによる熱中症なのか。

そう考えて内科を受診し、点滴を受けたこともありました。

それでも症状は改善しませんでした。


「朝、一瞬だけ元気なんです。でも、そのあと一気に強烈な倦怠感が来て、そこから疲れる一方で全然抜けていかない。それが毎日続いて、『さすがに何かおかしくないかな』と思い始めました」


原因が分からないまま、萩中さんはさまざまな医療機関を受診しました。

最初は、「過労ではないか」「暑いから熱中症ではないか」「栄養を取った方がいいのではないか」といった説明を受けることが多かったそうです。


しかし、その間にも症状は悪化していきました。

やがて、自分で歩いて病院へ行くことも難しくなり、救急搬送されたこともありました。

手足が動かしにくい。強い倦怠感がある。息も苦しい。

明らかにいつもの自分とは違う状態でした。

それでも、CTなどの検査では原因につながる異常が見つかりませんでした。


2.「心の問題では」と言われる中、診断につながった医師との出会い

救急を受診した後、萩中さんは院内の紹介で脳神経内科を受診しました。

しかし、そこでも検査では原因が分かりませんでした。


そして、身体的な病気ではなく「精神的なものではないか」と考えられ、心療内科や精神科を紹介される流れになったといいます。

当時、萩中さん自身は重症筋無力症という病気の存在を知りませんでした。

自分の症状をインターネットで調べることもしていなかったそうです。


「免疫疾患にこういう病気があるということ自体、全く知らなかったので、病気かどうかも分からなかったんですよね。ただ、自分がしんどい。疲れがひどい。それだけでした」


そもそも、その頃は自分で病気について調べられるほどの体力が残っていませんでした。

外来のソファに座り続けることも難しい。

体をまっすぐ支える力もなく、息もどんどん苦しくなっていく。


「パソコンを打って検索するとか、お医者さんに何か質問するとか、そういうことも体力的にできませんでした。ただ苦しい、という状態でした」


一方で、医療機関で「心の問題ではないか」と言われ続けるうちに、自分自身も「本当にそうなのかもしれない」と考えるようになりました。


「つらかったのは、心の病だと片付けられてしまうことでした」


症状は悪くなる一方でしたが、別の脳神経内科を受診しようとしても、「総合病院で異常がなかったのであれば病気ではないのでは」と、診察につながらないこともありました。


滋賀県内で受診先を探し続けたものの、なかなか次の医療機関につながることができませんでした。

「かなり塞ぎ込んだタイミングはありましたね」

そこで萩中さんは、住んでいた大津市が京都府に近いことから、京都まで受診先を広げることにしました。

そして、最初に訪れたクリニックで、大きな転機が訪れます。


その医師は、それまでの検査で異常が見つかっていないことを踏まえながら、「CTやMRIなどで異常がないのであれば、別の検査で異常が出る可能性があるのではないか」と考えました。


症状からギラン・バレー症候群などの可能性もあるとして、すぐに総合病院を紹介してくれました。

紹介先では、最初から免疫疾患なども視野に入れた検査が行われました。

筋電図など、それまでとは異なる検査を受けた結果、異常が確認され、最終的に重症筋無力症と診断されました。


そのまま入院することになりました。

最初に症状が現れてから、診断までは約2か月。

「精神疾患だろうと決めつけずに、通常の検査で異常が出ないんだったら、何か別の検査をしないといけないんじゃないか、という発想を持っていただいた先生がいたことが、本当にありがたかったと思います」


萩中さんは、診断までの経緯を「本当にたまたまラッキーで、本当に運ですね」と振り返ります。


3.🔏病名がついて初めて感じた不安と、家族・仕事のこと

4.家族を支えるために「普通に働ける状態」を目指した治療

退職した後、萩中さんが考えなければならなかったのが、これからどのように働くかということでした。

体調に合わせて勤務時間を短くする。

アルバイトなど、負担の少ない働き方を選ぶ。

そうした方法もあります。


しかし、萩中さんの場合、それは現実的な選択肢ではありませんでした。

「子どもが生まれますし、収入源が僕一人しかない状態でした。フルタイムで、普通の会社員と同じような勤務時間と年収がないと生活が成り立たなかったんです」


家族を支えるためには、ある程度の収入が必要でした。

そのため、短時間勤務やアルバイトではなく、再びフルタイムで働ける状態まで体調を整える必要がありました。

「病気の症状に合わせた働き方では、どうしても家族を養うだけの収入が足りない。だから僕の場合は、普通に働けるレベルまでMGの症状を抑えて、コントロールできる状態に持っていくことが第一条件でした」


治療を始めても、すぐに症状が安定したわけではありません。

ステロイドなどの治療を受けながら、主治医と相談し、さまざまな方法を試していきました。

子どもが生まれるという家庭の事情もあり、入院を繰り返すような治療はできるだけ避けたいという思いもありました。


その中で、新しい治療薬を試すことになりました。

すぐに効果を感じたわけではありません。

しばらくは、「これを続ける意味があるのだろうか」と感じるほど、変化が見えなかった時期もあったそうです。


それでも、主治医と相談しながら治療を続けました。

少しずつ症状が安定し、生活にも変化が現れていきました。

萩中さんにとって重要だったのは、薬の効果だけではありませんでした。


治療をどのくらいの頻度で受ける必要があるのか。

一回の通院にどの程度時間がかかるのか。

それも、仕事へ戻れるかどうかに大きく影響しました。


毎週、長時間の点滴を受ける必要がある状態では、一般的な会社員として働くこととの両立は簡単ではありません。

その後、治療の受け方や通院に必要な時間が変わったことで、「もう一度働く」という選択肢が現実的になっていきました。

治療の目的は、症状を軽くすることだけではありませんでした。


家族との生活を支え、再び仕事をする。

そのために、どうすれば病状を安定させられるのか。

萩中さんにとって、治療と社会復帰は切り離せないものでした。


5.主治医との出会いを経て、再び社会へ

診断までの経緯と同じくらい、萩中さんがインタビューの中で繰り返し話していたのが、主治医との出会いでした。

診断を受けた病院には、重症筋無力症など神経免疫の疾患を専門的に診ている医師が定期的に外来に来ていました。

その医師に診てもらうことになり、治療が進んでいきました。


「その先生に出会えたことも、僕が自分でコントロールしたわけではないんです。本当にたまたまでした」


萩中さんは、自分に合った治療を受けられたことが、社会復帰につながった大きな理由の一つだったと感じています。

治療を続ける中で、少しずつ症状が安定していきました。

現在のようにある程度コントロールできる状態になるまで、本人の感覚では約1年かかったといいます。


「最初はものすごく症状のコントロールに苦しみました。でも、少しずつコントロールできる範囲に持っていくことができました」

そして、ようやく就職活動を始めることができました。


現在の会社から内定を得て、再び通常勤務ができるようになりました。

「症状が思うように落ち着かないと、社会復帰に向けての土台そのものが安定しないですよね。会社側も、『内定を出して、本当に毎日勤務できるのか』と思うでしょうし」


萩中さん自身の経験から感じているのは、「診断がつけば終わり」ではないということです。

診断につなげてくれる医師と出会うこと。

そして、その後、自分の症状や生活に合わせて治療を考えてくれる医師に出会うこと。

その両方が、その後の暮らしを大きく左右しました。


「僕の経験から言えば、理解のある主治医の方にどう巡り合うか。そして、その中で自分の症状をどう安定させていくか。そこがすごく大きかったと思います」


現在、萩中さんは会社員として週5日勤務しています。

ただし、仕事に戻ったからといって、病気になる前と同じ生活に戻ったわけではありません。

通勤に片道2時間以上かかる中で、できるだけ座れる方法を探す。

暑さを避ける。

夕方まで仕事を続けられるよう、その日の体力を細かく調整する。


後編では、重症筋無力症とともに働き続けるための日々の工夫、患者会や情報との付き合い方、そして病気を経験したことで変わった価値観について伺います。




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重症筋無力症広場のイメージ


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