「病気があっても自分の人生を」CIDPと歩む釘宮明美さん
釘宮明美さんの素敵なお話を前中後編に分けて、お届けします。
【目次】
6.13人から始まった患者会――「声を上げることで変わっていく」
8.CIDPと仕事を両立する――大学教員として続けてきた働き方
9.🔏「病気を持っていても、自分の人生を生き切っている人はいる」
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CIDPと診断され、治療を続けるなかで、釘宮明美さんにとって大きな支えとなったのが、同じ病気を持つ人たちとのつながりでした。
2006年には、患者・家族13名で「全国CIDPサポートグループ」を立ち上げ、医療講演会や患者実態調査、医療費助成を求める活動などに携わってきました。「声を上げることで、現実に何かが変わっていく」。患者会での活動は、釘宮さん自身の病気との向き合い方にも影響を与えていきます。
後半では、患者会を立ち上げた当時のことや、CIDPと仕事を両立するために工夫してきたこと、そして長く病気とともに歩むなかでたどり着いた「病気があっても、自分の人生を生き切りたい」という思いについて伺います。
診断されたばかりの患者さんや、治療・仕事・将来に不安を感じている方に向けた、釘宮さんからのメッセージもお届けします。
釘宮さんがCIDPと診断された当時、日本には現在のようなCIDPの患者会はありませんでした。
ただ、患者自身による情報発信は少しずつ始まっていました。
海外のCIDP患者団体と連絡を取り、そこで得た病気の情報を日本語に翻訳して発信している人もいました。
釘宮さんも、その情報をインターネットで見つけました。
「資料を送っていただいて、それで初めて自分の病気がどのようなものか、しっかり理解できたように感じました」
当時は、今のように検索すればCIDPについて多くの情報が出てくる時代ではありませんでした。
だからこそ、患者自身が集めた情報や、患者同士のつながりが大きな意味を持っていました。
少しずつCIDPの患者同士がインターネットを通してつながり、「CIDPにも患者会があるといいね」という話が出るようになりました。
そして2006年4月、東京・上野に患者と家族が集まり、13名で「全国CIDPサポートグループ」が発足しました。
最初から完成された組織があったわけではありません。
誰が何を担当するのか。
どのような体制にするのか。
患者さんに渡す資料をどうするのか。
一つずつ形を作っていきました。
「患者会を組織化して、きちんとした体制を整えていくのは大変でした」
一方で、集まったメンバーには、それぞれ仕事や社会経験のなかで培ってきた得意分野がありました。
銀行員、企業の営業職、大学教員など、さまざまな人がいました。
釘宮さんは、文章の作成や医療講演会、患者実態調査や医療情報に関する分野を担当しました。
患者会が発足した当時、大きな課題の一つだったのが医療費でした。
CIDPに有効なIVIg治療は高額な医療費がかかります。
繰り返し治療が必要で、
なかには、毎月のようにIVIg治療をしなければならない患者もいました。
そこで患者会では、CIDP患者の実態を調べる調査を実施しました。
患者がどのような治療を受けているのか。
どんな負担を抱えているのか。
その結果をまとめ、医師とともに学術論文として発表しました。
そして、客観的なデータをもとに公費負担の要望書を作成し、厚生労働省への要望活動や署名活動を進めました。
「要望書は、私が書きました。結構、力を入れて書きました」
そして釘宮さんは、少し笑いながらこう続けます。
「自分が書いたものの中で、一番世の中の役に立ったのは、この要望書だなと思います」
2006年に発足した患者会は活動を続け、2009年10月、CIDPは国による医療費助成の対象となりました。
「理事長、事務局長を中心に、支部長、会員、皆で力を合わせて、短期間で集中的にやりました」
活動を続けるなかで感じたことがあります。
「声を上げることによって、現実に何かが変わっていくというのを実感できました」
そして、その活動は、自分たち自身のためだけではありませんでした。
症状が重く、患者会の活動に参加したくても参加できない人もいる。
治療だけで精一杯の人もいる。
だからこそ、動ける人が動く。
「重症の方たちのためにも、活動できる人たちが中心になってやっていく、という感じでした」
患者会では、医療費助成を求める活動だけでなく、医療講演会も毎年開催してきました。
釘宮さんは長く、その講演会の担当を務め、CIDPを専門とする医師に講演を依頼してきました。
そこで、今でも印象に残っていることがあります。
「専門医の先生に講演をお願いして、お断りになられる先生が一人もいなかったんですね」
多忙な医師たちが、患者のために時間をつくってくれる。
そして、病気や治療について、患者にわかる言葉で説明してくれる。
「毎回、本当に充実した、ためになる講演をしてくださって」
そこで得た正確な医療情報を患者同士で共有し、知識を増やしていく。
患者会のなかには、そうした流れが少しずつできていきました。
一方で、患者同士だからこそできることもあります。
医師ではないから、医療的な判断をすることはできません。
でも、自分たちが実際に経験したことなら伝えられます。
治療を受けたとき、生活のなかでどんなことに困ったのか。
仕事をどうしたのか。
誰に相談したのか。
そうした経験を共有することはできます。
以前はホームページの掲示板や電話、交流会などでやりとりしていましたが、現在はLINEのオープンチャットなどが使われています。
そこに並ぶのは、病気の相談ばかりではありません。
「『こんなところに行きました』とか、『こんなものを食べました』とか。日常的な楽しいやりとりも盛んなんですよ」
インタビューでその話を聞き、「悩みだけではなく、日常を共有できるのはいいですね」と伝えると、釘宮さんもうなずきました。
病気のことを話せる。
でも、病気のことだけを話す場所ではない。
そんな関係が続いています。
一方で、患者会に寄せられる相談の内容は、発足当初と現在とでは変わってきたといいます。
以前は、「診断されたけれど治療が効かない」「ほかに治療法はないのか」という相談が多くありました。
現在はCIDPについての研究も進み、治療の選択肢も増えてきました。
だからこそ、新しい悩みも生まれています。
「逆に選択肢が増えてきたと思います」
どの治療を選ぶのか。
今の治療を続けるのか、新しい治療法へ変更するのか。
患者自身が判断に迷う場面もあります。
「新しい治療薬が出てくると、『試してみよう』となることもあります。でも、本当に自分に合っているのか。病態にもよるので、その見極めは結構難しいと思います」
また、同じCIDPと診断されていても、症状や治療への反応は一人ひとり異なります。
だからこそ、患者会で相談を受ける際には、相手が何に一番困っているのかを見ることを大切にしてきました。
「その人が今、何を求めているのかを、見極めることが大事ではないかと思っています」

高校教員から大学教員へ。
働く環境が変わったことは、CIDPと付き合いながら仕事を続けるうえで大きな変化でした。
大学教員には、教育のほかに研究という仕事があります。
釘宮さんの場合、デスクワークの割合が増えたことで、体力的な負担は高校教員時代より軽減されました。
また、自分で勤務時間や仕事量をある程度調整できることも大きかったといいます。
「勤務日や時間も、自分である程度調整できるので、その面では非常によかったです」
しかし、大学教員だから負担が少ないというわけではありません。
授業、研究、学内業務だけでなく、学会や講演、執筆など大学外の仕事もあります。
繁忙期には仕事量が一気に増えることもあります。
部署の長を務めていた期間にコロナ禍が重なり、激務から心身の調子を崩し半年間休職しました。
CIDPの再発も重なり、複数回の入院治療を経験しました。
そして復職するとき、主治医から仕事量を減らすようにと言われました。
大学の産業医らともやりとりをしながら、具体的な仕事量について職場と調整しました。
その際に役立ったのが、厚生労働省のホームページで知った治療と仕事の両立支援に関する資料でした。
自分は、どのくらい働けば無理なく続けられるのか。
職場に何を伝える必要があるのか。
どのように相談すればいいのか。
「資料の中にあったワークをしながら、自分にとってどういう働き方がいいのかとか、仕事量をどう調整したらいいのかとか、どのように交渉するかなどが具体的に書かれていて、非常に役立ちました」
現在の職場では、同じ部署の教職員も病気について理解してくれています。
授業の入っていない曜日を治療や通院の日にあてられるよう、時間割を作る際にあらかじめ調整をしています。
ただし、釘宮さんが最初から職場に病気のことを話せていたわけではありません。
高校教員だった頃や非常勤時代は、むしろ病気を隠していました。
「高校に勤務していた時は、結構隠していましたね」
入院をできるだけ夏休みや冬休みにずらし、試験期間などを選んで入院する。
仕事への影響がなるべく出ないようにする。
「入院する時も、できるだけわからないようにしていました」
だからこそ、「病気を職場にどう伝えればいいのかわからない」という患者の悩みにも、簡単に答えられるものではないと感じています。
職場によって環境も違います。
上司との関係も、産業医の役割も、それぞれ異なります。
ただ、利用できる制度や相談先があるなら、自分から活用することも大切ではないかと話します。
そして、釘宮さん自身が現在、仕事を続けるうえで心がけていることがあります。
「元気な時は、自分の担当している仕事を、責任を持って果たすということをモットーにしています」
高校に勤務していた頃、通院や体調不良で仕事を休むことのつらさを経験しました。
だからこそ、普段から周囲との信頼関係を大切にしています。
自分が元気なときには、自分のできることをする。
誰かが病気や家庭の事情で休まなければならないときには、自分が支える。
そして、自分が入院や通院で仕事を休まなければならないときには、周囲に助けてもらう。
「お互いにフォローし合える関係というのは、普段の信頼関係の中から作られると思うので、それはすごく心がけています」

最後に、CIDPと診断されたばかりの患者さんや、治療、仕事、将来について不安を感じている方、その家族に向けて、メッセージをお願いしました。
釘宮さんが、患者会で相談を受けたときに伝えてきたことがあります。
「病気がわかって診断された直後というのは、誰でも不安なものです」
仕事はどうなるのか。
元の生活に戻れるのか。
治療は効くのか。
この先ずっと病気と付き合わなければならないのか。
いろいろなことを一度に考えてしまう時期です。
釘宮さん自身の経験から、患者会で相談を受ける際には、診断されたばかりの方に「まずは治療を優先してほしい」と伝えてきました。
「最初の2年間は、仕事やほかに気になることがあっても、まず何よりも治療に専念してください、と伝えていました」
その間に、自分に合う治療法を探していく。
病気について知り、自分の症状がどのような経過をたどりやすいかを掴んでいく。
そうやって3年目になった頃には、少しずつ病気との付き合い方がわかってくる。
「そうしたら自分の好きなこと、例えば趣味とかを少しずつ始める、気持ちの余裕ができると思うんです」
そして5年目。
それまでしていた仕事に戻るのか。
別の働き方を考えるのか。
その頃になれば、仕事や社会生活について具体的に考えられるようになるのではないか、と話します。
もちろん、これはすべてのCIDP患者に同じように当てはまるものではありません。
症状の重さも、治療への反応も、生活環境も人によって異なります。
「一般化はできませんが、これは私自身が実際に体験したスパンです」
だからこそ、診断された直後に人生のすべてを決めようとせず、「長いスパン」で考えてもよいのではないか、と伝えています。
そして、もう一つ。
「病気になると、どうしても体だけではなくて、気持ちも弱くなることがあります」
でも、人は弱くなったときだからこそ、誰かとつながれることもある。
「人は弱さを通して、連帯できるのではないかと思うんです」
同じ病気の患者でもいい。
家族でもいい。
友人でもいい。
一人で全部を抱え込まず、誰かに相談する。
助けてもらう。
そして、自分が元気なときには、今度は誰かを支える。
釘宮さん自身も、そうした人とのつながりのなかで、病気との付き合い方を見つけてきました。
「病気があっても、自分の人生を生きていくことはできます」
そして最後に、こう話してくれました。
「病気があっても、自分自身の人生を生きていけるようになることを、私も願っています」

ご紹介:
釘宮明美さんのエッセイ集『時のかたみに キリスト教と文学・師・信仰』
https://www.shumpu.com/portfolio/1084/
第三部 命を見つめて 【難病を受け入れて生きる意義とは―「全国CIDPサポートグループ」の活動を通じて】には、インタビューでお話していただいた
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