CIDP診断まで18年――釘宮明美さんが歩んだ道
釘宮明美さんの素敵なお話を前後編に分けて、お届けします。
【目次】
1.「どうしてこんな症状があるんだろう」病名がわからないまま過ごした10代
2.症状ごとに別々の病院へ――発症から18年、ようやくたどり着いたCIDP
4.🔏「なんでこんなに病気に振り回されるんだろう」仕事と人生の選択
5.「自分一人で何とかしなきゃ」と思っていた――主治医との出会い
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慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)を10代で発症した釘宮明美さん。最初に症状が現れてから診断にたどり着くまでには、18年もの歳月がかかりました。
腕に力が入りづらい、字が書きづらい、何でもないところでつまずく――。さまざまな症状がありながらも原因がわからず、「人知れず困っていた」という日々を過ごしてきました。
前半では、病名がわからないまま過ごした10代から、CIDPの診断にたどり着くまでの道のり、初めて治療の効果を実感したときのこと、そして病気によって変わった仕事や人生の選択について伺います。
長い診断までの時間を経て、釘宮さんはどのようにCIDPと向き合うようになったのでしょうか。
釘宮さんに最初の症状が現れたのは、10代の頃でした。
最初に受診したのは整形外科でした。2か所の医療機関を受診したものの原因ははっきりせず、その後、小児科にもかかりました。
当時は地方に暮らしていたこともあり、現在のようにさまざまな専門医療機関へアクセスしやすい環境ではなかったといいます。
さらに、後になって知ったのは、釘宮さんが発症した頃には、まだ「CIDP」という病名自体が現在のように知られていなかったということでした。
「その当時は、まだCIDPという病名自体が存在していなかった時期なんです。ですから、今のように神経伝導速度検査もなく、当然わからず、結局うやむやのままで終わりました」
その後も、中学、高校と症状は続きました。
主に現れたのは、腕の脱力や感覚の異常でした。
腕に力が入りにくい。字が書きづらく、指がまっすぐ伸びない。通学かばんが持ちづらい。体育の授業では、周囲の生徒と同じようにできない動作がある。最初は左腕が中心でしたが、その後、右腕や足にも症状が出るようになりました。
日常のなかには、小さな「できない」がいくつもありました。
それでも、若かったこともあり、時間が経つとある程度症状が回復することもありました。
「普通に日常生活は送っていたんです。ただ、『どうしてこういう症状があるのだろう』とずっと思っていました」
治療を受けないまま、中学、高校、そして大学へ。
症状はある。でも、病院に行っても病名はつかない。
その状態が長く続いたことで、釘宮さん自身も、自分が「病気である」という認識を持ちづらくなっていきました。
家族は皆健康で、病院にかかる機会もあまりなかったそうです。
「最初に病院へ行ってもわからなかったこともあって、自分でも病気という認識が持てなくて。『これは体質なんだろう』と思うようになってしまったんですね」
だからこそ、症状があっても、誰かに積極的に相談することは多くありませんでした。
「人知れず困っていた、という感じでした」
大学進学を機に東京へ出てからは、釘宮さん自身も症状について積極的に調べるようになりました。
大きな書店へ行き、家庭医学の本を開く。
「自分の体に起きていることは何なのか」
答えを探しました。
ところが、現れる症状は手足の脱力だけではありませんでした。
顔面神経麻痺や複視など、手足とは一見別の症状が現れることもありました。
地方に暮らしていた頃は、手足に症状が出れば整形外科へ、顔に症状が出れば別の診療科へと、その都度異なる医療機関を受診していました。
そのため、いくつもの症状を「一連のもの」として診てもらう機会がなかなかありませんでした。
「同じ病気からくる一連の症状として見るということがずっとできないまま、長く時間が経っていったんですね」
大学に入ってからは、さらに「何かがおかしい」と感じる出来事が増えていきました。
何でもないところでつまずく。
風邪をひいたあとに手足に力が入りにくくなる。
風邪そのものは治っても、強いだるさが残り、なかなか元気が戻らない。
「半年くらい、ずっと体がだるくて元気が出ないこともありました。同世代の人と比べると、明らかに体力が弱いし、何かおかしいなと思っていました」
足に慢性的な筋肉痛のような感覚が続くこともありました。
症状が出るたびに病院へ行く。
検査を受ける。
けれども、原因はわからない。
そんなことを何度も繰り返しました。
「その都度病院に行っていたのですけれど、結局よくわからないまま終わるということを、何回も繰り返しました」
大きな転機になったのは、眼科から神経内科につながったことでした。
眼科へ定期的に通院するなかで、複視の症状が出たのをきっかけに、それまでに経験してきた症状について伝える機会があり、神経内科を紹介されました。
ただ、その時点でも、すぐにCIDPという診断には結びつきませんでした。
別の神経疾患の可能性も考えられ、検査を受けながら経過を見ることになりました。
それでも釘宮さん自身には、「まだ何か見つかっていないのではないか」という思いがありました。
ちょうどインターネットが一般に普及し始めていた頃。
釘宮さんは、症状や病気について「片っ端から」検索しました。
そして、ある患者支援団体にも相談しました。
そこから別の医療機関にもつながり、検査を重ねていきました。
その過程で、末梢神経の状態を調べる検査を受けることになり、脱髄を示す所見が確認されました。
「そこで、すぐに入院してくださいということになって。やっとわかったか、という感じでした」
最初に症状が現れてから、18年。
「発症して18年目に、やっとCIDPではないかという疑いがついて、病名がわかりました」
長い時間を経てようやく、それまでばらばらに見えていた症状に、一つの病名がつきました。

CIDPの診断につながる検査入院をしたのは、30歳頃でした。
診断がついたあと、治療も始まりました。
最初に受けた治療では、釘宮さん自身は十分な効果を感じることができなかったといいます。
その数か月後、再び入院することになり、今度はIVIg(免疫グロブリン静注療法)を受けました。
そのときの体の変化は、今でも強く印象に残っています。
「感動するほど、体が元気に、軽く感じられるようになっていったんです」
10代から30歳頃まで、症状はあっても、原因がわからない時間が続きました。
体調が悪くなれば病院に行く。
けれど治療につながらない。
そんな経験が長かったからこそ、「治療によって体が変わる」ということそのものが驚きだったといいます。
「入院して治療しないといけない病気だと思っていなかったんです。初めて薬とか治療の効果を感じて、感動した覚えがあります」
その後も、再発するたびに状態に合わせた治療を受けてきました。
IVIgだけでなく、ほかの治療も経験しました。そのなかで、釘宮さん自身にはIVIgと免疫抑制剤が最も効果を感じやすかったといいます。
症状が落ち着いている期間もあれば、再び体調を崩す時期もありました。
数年間大きな再発なく過ごせた時期もありましたが、仕事が忙しくなった時期などに再発を経験することもありました。
現在は、免疫抑制薬と皮下注用の免疫グロブリン製剤などによる治療を続けています。
長くCIDPと付き合ってきたことで、自分の体に起こる変化にも少しずつ気づけるようになりました。
「私の場合は、脱力が出る前に必ず、触った感じが分かりづらいという感覚異常が先に出るのです」
以前は、体のどこかに新しい症状が出るたびに、「今度は何が起きているんだろう」と不安を感じていました。
しかし、長く自分の体を観察するなかで、症状が現れる部位の順番や、自分なりのパターンがわかってきました。
前兆を感じたら、極力無理をしない。
そして、早めに主治医へ連絡する。
「常に病気のことばかり考えて暮らしているわけではないですし、気を付けていても再発はしてしまいます。でも、再発しても治療すれば回復できるという思いが、自分の中にはあります」
長い年月をかけて見つけた、病気との距離の取り方。
釘宮さんはこう表現します。
「上手に、病気を手なずけながら暮らすということをモットーにしています」
CIDPの治療には、経済的な負担が伴うこともあります。
釘宮さん自身も、非常勤講師で働いていた頃は収入が不安定だったため、治療費について大きな不安を抱えていました。
効果を感じていた治療がある。
けれど、それを何度も受けることができるのか。
将来も治療を続けながら生活していけるのか。
「非常勤時代は、治療費の経済的な負担と、それから将来への不安が、とても大きかったです」
そのことを主治医に率直に相談したところ、病院のソーシャルワーカーにつないでくれました。
治療費や支払いについて相談し、どのような方法があるのかを一緒に考えてもらいました。
さらに大きかったのは、その頃に出会った主治医との関係でした。
それまで釘宮さんは、何度も病院を受診しながら診断につながらなかった経験から、医療者とのコミュニケーションにも難しさを感じていました。
「それまでは、自分一人で何とかしなきゃと思っていたんですね」
しかし、その主治医は違いました。
「我慢しちゃだめだよ、悪くなったら飛んでおいで」
そう言ってくれました。
医療費についても、医師の方から「こういうふうにしましょう」との提案があり、必要な支援につないでくれました。
「その先生に出会ってからは、全然変わりましたね」
それまで、症状が悪くなっても、自分の中で抱え込んでしまうことがありました。
しかし、信頼できる主治医ができたことで、「悪くなった」と言えるようになりました。
「症状が悪くなったら、きちんと伝えられるようになりました」
ちょうど同じ頃、同じCIDPの患者ともつながり始めました。
ある患者支援団体を通して紹介された人たちとメールをやりとりする。
自分と同じように、診断まで長い時間がかかった人もいました。
治療に悩んでいる人もいました。
「困っていたり、苦しんでいたりするのは自分だけじゃないんだ、ということがすごくわかりました」
それまで、自分のなかだけで抱えていた経験を、「わかる」と言ってくれる人がいる。
釘宮さんにとって、それは大きな支えになりました。
「理解し合える人ができたというのは、大きな励みになりました。自分一人ではないということが、自分が病気を受容するきっかけにもなったと思います」
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