血友病を抱える映像クリエイター川浪勇太さん

長崎県松浦市を拠点に活動する映像クリエイターの川浪勇太さん。
川浪さんは血友病を抱えながら、地域づくりを通じて、地域の子どもたちに挑戦する機会を与えています。
今回のインタビューでは、川浪さんの歩んできた経験や現在の活動に込める想い、血友病を抱える方へのメッセージを伺いました。
インタビューの後編では、新しい治療と手術による転機、現在力を注ぐ地域活動、将来の夢、
同じ病気の子どもを育てる親御さんへのメッセージを紹介します。
映像クリエイター川浪さんの素敵なお話を前後編に分けて、お届けします。
【目次】
7. 痛みの限界と人工関節手術
8. 感謝の気持ちを忘れない
9. 地元の子どもたちに、挑戦する機会をつくる 🔏
10. 自分の人生を「メイキング映画」にしたい 🔏
11. 血友病の子どもを持つ親御さんへのメッセージ――子どもの「好き」を見つけて 🔏
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お写真は、川浪さんご家族の許可を頂いて掲載しております。
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5. 新たな治療薬が変えた、身体と心

地域イベントの活動に力を注いでいた頃、新しい血友病治療薬の治験に参加する機会が訪れました。川浪さんは以前から、「治験の話があれば断らない」と決めていました。家族には不安もありましたが、「何か試してみないと駄目だろう」という思いから、参加を決めたといいます。
治療を始めると、身体に大きな変化が起きました。毎月繰り返していた出血が、ほとんど起こらなくなったのです。この変化が大きな転機となりました。
ちょうど同じ頃、映像の大きな仕事が決まり、三日間の東京出張に出ることになりました。映像の仕事を始めたばかりで、出張そのものにも慣れていませんでした。知り合いのカメラマンに同行してもらいながら、広い東京を歩き回ったといいます。
一日目から足は疲れ切り、これまでの経験なら「きっと出血する」と覚悟する状況でした。ところが、翌朝になっても出血していませんでした。二日目もへとへとになるまで動きましたが、やはり出血しませんでした。三日間を終えても、足の疲れはあるものの、関節は腫れていませんでした。
「こんなことは初めてでした。この薬が自分に合っていました」と、川浪さんは興奮気味に話しました。身体の変化は、心の中に長く住みついていた恐怖を、少しずつ薄くしていきました。
三か月間出血しなかった。東京へ行っても出血しなかった。そうした経験が積み重なるたびに、「この仕事は受けられるだろうか」という不安が、「何とかやれるかもしれない」という感覚に変わっていったといいます。
海外での撮影の話が来たときにも、「行こう」と思えたそうです。以前であれば、知らない土地で足が動かなくなったらどうするのかという不安が先に立ち、断らざるを得なかったでしょう。新しい治療薬との出会いが、映像の仕事の幅を広げたと川浪さんは振り返ります。
そこから約三年間、川浪さんはがむしゃらに働きました。仕事が少ない時期だったからこそ、依頼には全力で応えました。撮影機材が増え、一人で運ぶには重くなっても、長い間できなかったことを取り戻すように現場へ向かったといいます。
同時に、伊万里市で失敗を重ねながら、人との関わり方も学んでいったそうです。誰かを無理に動かすのではなく、参加する人が楽しめる余白を大切にするようになりました。
その後、地元の松浦市で自分の裁量で運営する小さな催し「松浦マーケット」を始めました。
子どもたちと接する中で、相手の気持ちを見ながら任せることを覚えました。催しは少しずつ地域に根づき、約五年続く活動になっています。
その経験を経て、福島町の夏祭りに再び挑戦しました。従来とは場所も雰囲気も変え、若い世代が楽しめる新しい祭りを目指したといいます。
そのため、「あんなものは夏祭りではない」と反対する声もあったそうです。
それでも夏祭りを続けるうちに、少しずつ状況が変わりました。
かつて川浪さんの活動に反対していた人たちが協賛を申し出たり、「手伝えることがあれば言ってほしい」と声を掛けたりするようになりました。
「まだ成功とは言えないけれど、少しずつ前に進んでいるのかな」と、川浪さんは笑いながら話しました。
この夏祭りも5年目になり2026年、今年「打上花火」をあげます。地元の人たちや、かつてのメンバーたちと一緒に見る花火はなんとも言えない風景になることでしょう。
その風景をカメラに残したいと川浪さんはいいます。
一方、出血が止まっても、幼い頃から蓄積してきた関節への負担まで消えるわけではありませんでした。もともと変形していた左膝は、軟骨がほとんどなく、骨同士が当たるような状態になっていたといいます。
立ち上がって一歩を踏み出すだけで激痛が走り、仕事が十分に安定していない焦りと、身体の痛みが重なりました。撮影の日は痛み止めを過剰に飲み、無理に身体を動かしました。仕事がない日も「何かしなければ」と自分を追い込み、事務所に泊まり込むようになったといいます。
家にはシャワーを浴びるためだけに戻り、睡眠不足のまま翌日の打ち合わせへ向かいました。やがて頭がぼんやりし、コンビニ弁当を食べ続け、気づくと食事がさえ喉を通らなくなりました。「このままでは精神的にも危ない」。そう自覚したとき、川浪さんは人工関節の手術を受けたいと主治医に訴えました。
血友病患者の手術には出血のリスクがあるため、以前に相談した際には難しいと言われていました。それでも、治療薬によって何年も出血が抑えられている今なら、可能性があるのではないかと考えました。
「六十歳になってから動けるようになっても遅い。子どもがいる今、動けなければ意味がない」。その言葉を受け、医師も改めて手術の可能性を検討することになりました。
人工関節手術について、川浪さんらしさを感じるエピソードがあります。
難しい手術を前に、医師から「川浪さんも何かリスクを負ってください。例えば、たばこをやめたら?」と冗談交じりに言われたそうです。
川浪さんは「たばこをやめたら、先生、手術を成功させてくれるんですね」と応じ、約一か月後の受診時には禁煙していました。「あまのじゃくなんですよね」と笑っていましたが、現在も禁煙を続けているそうです。
そうして迎えた手術は、無事に成功しました。長年続いていた痛みは消え、曲がりにくかった膝も以前より動くようになりました。歩ける距離が伸び、足に力が戻り、活動の幅は再び広がりました。
新しい治療薬によって出血への恐怖から解放され、人工関節手術によって痛みからも解放されました。二つの治療との出会いが、川浪さんの新しい道を切り開いたことが印象的でした。
もちろん、治療を受けていれば何をしても大丈夫というわけではありません。一年ほど前には、深刻な出血を起こしたそうです。イベントで普段は運ばないような重い機材を運んだ際、筋肉内で出血し、人生で最もひどい腫れを経験しました。
ふくらはぎから下がどす黒く、パンパンに腫れ、入院を余儀なくされました。一年ほどたった最近になって、ようやく違和感がなくなってきたといいます。

川浪さんは、自分の人生を振り返りながら「ぎりぎりだった。感謝を忘れたら、自分の人生は崩れる」と口にしました。
仕事が途切れ、生活が立ち行かなくなりそうなときに大きな仕事をもらいました。地元の外へ活動の場を広げたことで新たなつながりが生まれ、足の痛みが限界に達したときには、人工関節の手術によって道が開けました。
川浪さんが足を痛めたことをSNSで知った若いカメラマンから連絡があり、「自分が川浪さんの足になります」と言ってくれたそうです。
感謝を忘れず、人とのつながりを大切にしているからこそ、川浪さんの周りには人が集まるのではないかと感じました。
昔は物事を悲観的に捉えることが多く、成功している人や有名な人を見ると、「調子に乗っている」と思っていたそうです。
しかし、さまざまな人と交流する中で、活躍している人ほど周囲への感謝を忘れず、相手を一人の人として大切にしていることに気づきました。
「病気だったから、人の優しさに気づけた。助けてもらうことの意味を知ることができた」と川浪さんは話します。
一方で、「病気なのにすごい」と評価されることには違和感があるといいます。病気があってもなくても、人にはやりたいことがあり、仕事や人間関係に悩み、失敗もします。
病気だけをその人の中心に置くのではなく、一人の人として、その人が何をしたいのかを見ることが大切なのではないかと考えています。血友病についてYouTubeなどで発信するときも、悲観的なメッセージだけを語るのではなく、時には笑いに変え、格好よく伝えたいと話していました。
人口減少が進む福島町では、「このままでは地域がなくなる」「田んぼを継ぐ人がいない」といった暗い話題が増えているといいます。だからこそ川浪さんは、地元の子どもたちがさまざまなことに挑戦できる機会をつくりたいと考えています。
夏祭りでは、子どもたちに出店を手伝ってもらい・・・
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