「100点じゃなくてもいい」伴野啓介さんが語る重症筋無力症との歩み
伴野啓介さんの素敵なお話を前後編に分けて、お届けします。
【目次】
2.「理解してくれた人は、多分いなかった」――診断までの約2年間
3.「病名が分かったことに、ほっとした」――20歳で重症筋無力症と診断
4.🔏「今日は腕立て伏せが20回できました」――治療と長い経過
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画像は、伴野啓介さんの許可を頂いて掲載しております。

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高校生の頃、野球部に所属していた伴野さんに現れた最初の症状は、物が二重に見えることでした。
最初は乱視だと思い、眼科を受診します。しかし、眼鏡を調整しても症状は良くなりませんでした。
その後、日によって体に力が入りにくくなり、それまで部活動で行っていた腕立て伏せもできなくなりました。
家族に体調について相談しても、「根性がないのではないか」と受け止められ、病院を受診しても、最初は重症筋無力症という診断にはつながりませんでした。
「理解してくれた人は、多分いなかったですね」
症状が続く中で大学へ進学し、日常生活にも影響が出るようになったことで、再び医療機関を受診。20歳の頃、ようやく重症筋無力症と診断されました。
前半では、最初に感じた目の異変から、診断に至るまでの約2年間、そして治療を始めてからの経過について伺います。
▶伴野啓介さんおYouTubeチャンネル『すー』

伴野さんが最初に体の異変を感じたのは、高校生の頃でした。
当時は野球部に所属していました。
最初に現れたのは、目の症状です。
「物が二重に見える症状から始まったと思います。ボールとかがちょっと揺れて見えたので、最初、乱視かなと思ったんですよ」
最初に眼科を受診すると、乱視と言われました。
そこで眼鏡を調整しましたが、物が二重に見える症状はなかなか改善しませんでした。
当時は、「乱視ってこういうものなのかな」と思い、そのまましばらく様子を見ていたといいます。
その後、目だけではなく、体にも変化が現れるようになりました。
日によって、体へ力が入りにくいと感じるようになります。
全く力が入らないわけではありませんでしたが、それまで普通にできていたことが少しずつ難しくなりました。
その一つが、腕立て伏せです。
伴野さんは野球部の練習で腕立て伏せを行っていましたが、それまでできていた回数が、ある時からできなくなりました。
「部活動で腕立て伏せをやってた人が、急にできなくなってしまって。もう部活の練習ができる状態じゃなくなりました」
体に力が入りにくいことを家族にも相談しました。
しかし、当時は病名も分かっていません。
家族からは「根性がないのではないか」と言われたといいます。
その後、伴野さん自身は、「神経がおかしいんじゃないか」と考えるようになり、近くの総合病院を受診しました。
初診の受付では神経内科を希望しましたが、実際には内科を受診することになりました。
一般的な血液検査などを受けましたが、大きな異常は見つかりませんでした。
そこで伝えられたのは、精神的なものや自律神経の問題ではないか、という話でした。
「そういうものなのかな、と思ってしまって」
その後、しばらく様子を見ることになりました。
しかし、症状は続きました。

脳神経内科を受診する頃には、腕にも力が入りにくくなっていました。
最初に病院を受診したあとも、体調は元には戻りませんでした。
1年、2年と経つうちに、日常生活を送ることも徐々につらくなっていきました。
もともと野球をしていた伴野さんでしたが、自転車をこぐことも負担になりました。
また、食事の際には噛みにくさや飲み込みにくさを感じることもあったといいます。
ただ、伴野さんは当時、「あまり弱みを見せないタイプだった」と話します。
家族の前でも、食事中につらそうな様子を見せないようにしていました。
部活動を休む際には、「体がしんどい」「力が入りにくい」と伝えました。
しかし、その時には「サボっている」と受け止められてしまいました。
学校生活の中でも、症状について理解してもらうことは簡単ではありませんでした。
大学進学後、身近な友人に話しても、あまり取り合ってもらえなかったといいます。
福祉系の実習へ行く際には、自分の体調に不安を感じ、学校の先生へ相談しました。
それでも、精神的な問題ではないかと受け止められたことがありました。
伴野さんは、自分でも原因を調べようとしていました。
目の症状のあとに疲れやすさや力の入りにくさが出たことから、神経や脳から体への指令に何か問題があるのではないか、と考えたそうです。
MRIやCTを受けたこともありました。
家族に症状を十分に信じてもらえていないと感じていた当時、自分のお小遣いから検査費用を出したこともあったといいます。
診断までの時期について尋ねると、伴野さんは、
「その時が一番つらかったですね」
と話しました。
周囲には、自分と同じような「力が入りにくい」という経験をした人もいませんでした。
「理解してくれた人は、多分いなかったですね」
野球部も最後まで続けることができず、途中で退部しました。
そのことについては、
「悔しかったです」
と振り返ります。
高校を卒業したあと、多くの同級生には、自分が重症筋無力症だったことを伝えていません。
伴野さんは、当時の同級生から見れば、「途中で部活をやめた人」という印象で残っているのではないか、と話していました。
その後、大学生になり、日常生活への影響がさらに大きくなりました。
そこで、「今度こそ神経内科だ」と考え、再び医療機関を受診します。
地域の医療機関で相談すると、「筋肉の病気かもしれない」と言われ、総合病院の神経内科を紹介されました。
そこで初めて、重症筋無力症という病名にたどり着きました。

神経内科では、筋電図などの検査を受けました。
伴野さんの記憶では、まぶたを冷やす検査や、薬を使って一時的な変化を見る検査なども受けています。
診察を受けたその日に、「これは重症筋無力症だ」と伝えられました。
その後、数日ほどで入院することになったといいます。
高校生の頃に最初の症状が現れてから、およそ2年。
重症筋無力症と診断された時、伴野さんが感じたのは「ほっとした」という気持ちでした。
「まず病名が2年間ぐらい分からなかったので、それが分かったっていうことに対する、ほっとした気持ちがありました」
診断される前には、原因が分からないまま体調が悪くなっていきました。
「このまま20歳ぐらいで死んじゃうんじゃないか」と考えたこともあったそうです。
病名が分かったことで、初めて自分の体に起きていることについて調べることができるようになりました。
ご両親には、その後、主治医から病気について説明がありました。
それまで伴野さんの訴えを十分に信じられなかったことについて、ご両親も振り返ることがあったといいます。
伴野さんは、
「本当に本人しかつらさが分からないので。信用してもらうまでは時間がかかりましたね」
と話します。
診断を受けて、最初に知りたいと思ったのは治療法でした。
もう一つ気になったのが、「治療をしたら、どの程度まで日常生活が改善するのか」ということでした。
当時は、今のようにインターネットでさまざまな情報を簡単に調べられる時代ではありませんでした。それでも病名が分かってから、自分で重症筋無力症について調べました。
そこで目にしたのが、胸腺を摘出する手術やステロイドなどの治療でした。
伴野さんは、「ステロイドを飲み続けるんだな」と受け止めたそうです。
そして、20歳で入院し、治療が始まりました。
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